玉川上水の歴史

玉川上水の歴史関連記事のまとめ

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小金井の桜
玉川上水は何と呼ばれていたか
金比羅山
玉川上水 空堀に関するメモ
まいまいず井戸
玉川上水の工事期間
玉川兄弟銅像
小平監視所と清流復活
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キツネとムジナにやたらと化かされた多摩の農民
残念ながら自殺の名所だった玉川上水
小平ふるさと村
山=雑木林
須崎家内蔵
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新宿の高層ビルと玉川上水の関係は
「多摩のあゆみ」がすごい!
玉川上水検定
富士見ヶ丘駅付近から終点新宿まで玉川上水散策
玉川上水の「提灯測量」は誰が言い出したのか
小金井村→小金井市。羽村→羽村市。何かおかしくないだろうか
玉川上水の地下を歩く
ふれあい下水道館
砂川のまいまいず井戸と蔵の美楽館
残堀川旧水路跡のパネル
残堀川の遊歩道には石の碁盤と石の将棋盤が
立川市 憩いの場と立川村十二景
根川緑道散策
玉川上水 名前の由来は?
川越道緑地古民家園
砂川学習館の「歴史と文化の資料コーナー」
企画展「ムダ堀の謎をさぐる」と「かなしい坂」
江戸東京たてもの園 特別展「小金井の桜 ー春の江戸東京名所めぐりー」
狭山茶はどこのお茶?
見沼たんぼと玉川上水
玉川上水 通船についての基礎メモ
日本野鳥の会 会誌『野鳥』昭和46年2月号 巻頭は「玉川上水の鳥」
夜の羽村堰
新しくなった玉川上水羽村陣屋跡の陣屋門
玉川上水駅旧駅舎
玉川上水の解説パネル
小平神明宮の八雲祭り
見影橋公園
吉田吉之助『玉川上水物語』

村の歴史

砂川村地図
殿ケ谷の阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社 砂川の鎮守さま
神明社 中里新田の鎮守さま
殿ケ谷新田の阿豆佐味天神社
小平神明宮 小川村の鎮守さま
砂川村のお蚕様

分水関連

野火止用水の水車苑
柴崎分水を歩く
柴崎分水を歩く(後半部分)
殿ヶ谷分水を歩く
砂川分水予習
新堀用水の胎内堀
新宿の玉川上水
多摩・武蔵野に現存する水車
残堀川下流を歩く

イベント

プロジェクト未来遺産2016「登録証伝達式」
東京都水道歴史館
トーク「玉川上水を探検する」
「武蔵野台地と玉川上水の変容」小泉武栄
「玉川上水のタヌキを調べる」高槻成紀
トーク「ミジンコから 世界、宇宙を考える」坂田明×関野吉晴
東村山 千体地蔵
たましん歴史・美術館『多摩の人・多摩の風景』
展示と講演『玉川上水・分水網の保全再生をめざして』

その他

玉川上水駅通路の鳥避けネット
高槻成紀先生の玉川上水ブログ
『東京人2016年07月号』に東京のタヌキと玉川上水の記事
玉川上水での録音実習
樹皮が剥がされる夏
福生にビジターセンターがオープン
玉川上水の下草刈り2015年の玉川上水を振り返る
ナトリウム灯
玉川上水のホタル
玉川上水に新たな分水が!?
玉川上水ネットのWEBサイトをリニューアルしました
玉川上水の自然を残そうとする「不自然」
玉川上水、未来遺産へ
「玉川上水保護活動が未来遺産に」NHKのニュースで取り上げられました
宝井馬琴 講談「玉川上水の由来」
玉川上水沿いに描かれた謎の落書き

2015年の玉川上水を振り返る

長い一年でした!
今までの人生でいちばんじっくりと玉川上水を観察できた一年だったと思います。


玉川上水の1月



玉川上水の2月



玉川上水の3月


玉川上水の4月


玉川上水の5月



玉川上水の6月



玉川上水の7月



玉川上水の9月


玉川上水の10月


玉川上水の11月


玉川上水の12月

8月が抜けているのは、江戸文化歴史検定の受験勉強と、仕事の多忙、東京にいない時間が長かったことが合わさったため。
まともな写真を撮っていませんでした。
ちょっともったいないことをしました。


ではでは、良いお年を!

2015年最後の探鳥メモ


(撮影 2015年12月)

いよいよ大晦日。

というわけで、今年最後のバードウォッチングへ。

12月31日(木) 晴れ 14:30〜16:00
シジュウカラ
メジロ
モズ
エナガ
カシラダカ
ヒヨドリ
ガビチョウ
コゲラ
シロハラ
ツグミ


シロハラ(白腹)
先日聞いた、ツグミのぐぜりに引き続き、シロハラのぐぜりを聞くことができました。
きれいで小さな声。そしてワンフレーズが長い。



レンギョウ(連翹)の花が咲いていました。
早いものは冬のうちから咲き始めるものもありますが、早すぎですね。
今年は本当に、暖秋・暖冬の影響で、春の花が12月に咲くことが全く不思議じゃないくらいになっています。


カシラダカ(頭高)
このエリアにカシラダカがいるという話は聞いていましたが、初遭遇です。
地鳴きはアオジやクロジの「チッ」という声と区別がかなり難しそう。
いつか区別できるようになるのだろうか。


ガビチョウ(画眉鳥)
こちらもついに玉川上水内で遭遇。外来種。
難しい問題を抱えた野鳥です。
外来種だから嫌う声もあり、外来種ということを抜きにしても嫌う声もあり。
ペットだった野鳥が抜けだして増えた、と言われています。
ペットとしての需要があったわけで、声は美しく、姿も(好みは別れますが)愛嬌があるといえばあります。

生態系への影響はどこまであるのか分かっていない部分が多いけれど、とにかく鳴き声と姿は目立つ、というところがまた議論の的。



おそらくニセアカシア(ハリエンジュ)のさや。
マメ科ということで、ネムノキのさやにも似ています。

阿豆佐味天神社 砂川の鎮守さま



(撮影 2015年11月)
立川市、砂川町の阿豆佐味天神社です。


阿豆佐味天神社は、寛永六年(一六二九)頃、村山郷殿ケ谷(瑞穂町)から勧請されました。
(教育委員会パネルより)

玉川上水水路周辺は、開削前には水を得ることが難しかった土地がほとんどです。
そのため、玉川上水開削後(1654年)のタイミングや、江戸中期の武蔵野新田開発時にできた村が多くなっていますが、砂川村はずいぶん早く(1609年)に開拓がはじまりました。
村山郷岸村(現在の武蔵村山市です)の村野氏が幕府に許可を願い出て、開発をはじめたのだと言われています。

もちろん、まだ玉川上水が無く、まともに水を使えない状態でどこまでの規模で村を作ることができたのかは分かりませんが...
この阿豆佐味天神社も、その開拓途中のタイミングで勧請されたことになります。



境内には砂川ゴボウについてのパネルもあり。
江戸時代から昭和にかけての江戸・東京のゴボウは、東の「滝野川ゴボウ」に対し、「砂川ゴボウ」は西の代表でした。
うーん、「砂川ゴボウ」は名前だけ聞いたことはあったけれど、滝野川ゴボウの名前は初めて知りました。勉強不足...


さて、多くの境内社があります。
その一つがこちら、蚕影神社。名前の通り養蚕の守り神です。
1860年(安政7年)2月に勧請されたとのこと。幕末ですね。

明治期の多摩にとって、養蚕はかなり重要な産業でした
この蚕影神社が1860年に勧請されていることで、砂川では幕末の時点で養蚕が盛んに行われていたことが分かります。



こちらの蚕影神社は、立川市在住の世界的ジャズピアニストである山下洋輔先生の、ちょっとしたエピソードにより「猫返し神社」とも命名されました。

おそらくそれ以降に作られたと思われる、石の猫。
にゃーん!

ちなみに、山下洋輔先生は、私の音大時代の師でもあります。


神社境内の石造物は情報の宝庫です。
修復や建て直しを行われることが多い木造社殿と違い、石灯籠や狛犬は江戸時代のかなり古いものがそのままの姿で残っていることが多いのです。

嘉永元戊申歳(嘉永元年)
九月吉日
砂川村 願主 村野榮左衛門

「村野」は砂川家の旧姓(という言い方でいいんだろうか)ですね。
嘉永元年は1848年です。

 


近くに、砂川村の教育についてのパネルもあり。
阿豆佐味天神社の神官であった宮崎氏が、自身の屋敷に寺子屋を開き、手習いを教えたとのこと。

実際、江戸時代の農村にも庶民教育はかなり普及していたようです。

「江戸文化」は何度かブームがあり、多くの本が出版されていますが、その中心は町人文化。
町人の暮らしを紹介する本はあふれていますが、農家の暮らしについて語られている本は少ないのがなんだかもったいない。

江戸時代の農村、特に多摩地域ではハイレベルな教育が行われていたようです。
だからこその、維新後の自由民権運動。「五日市憲法」が作られたのも多摩です。

開国後、輸出をするため多摩と横浜の往来が盛んになり(絹の道)、異国の文化を吸収するチャンスにも多く恵まれたようです。
このあたりもいつかじっくり調べてみたい!