新宿の玉川上水を歩く
新宿周辺の水路は暗渠になってしまっていますが、多くの石碑やモニュメントによってその跡をたどることができます。
今回は西新宿、東京都庁の南からスタート。甲州街道からもう少しだけ南へ進むと公園が。
かつての水路は大部分が遊歩道や公園になっています。
ギンモクセイ(銀木犀)が咲いていました!良い香り。
しばらく進むと天神橋跡にたどり着きます。
やはりここに水が流れていたことを実感する。
次に見えてくるのが勿来橋跡。
勿来橋、読めますか?なこそばし。
隣には文化学園。
勿来橋跡のそばにはモニュメントと玉川上水の記。作られたのは2003年(平成15年)。
明治時代に、このモニュメントのようなアーチ状煉瓦造りの暗渠が新宿駅地下に設けられたそうです。ほぼ原寸大だとか。
さらに進めば葵通り。この辺りは自動車も通れます。
短い間隔で千駄ヶ谷橋跡、葵橋跡と続きます。
残念ながらこの葵通りを直進すると、建物にぶつかってしまいます。
新宿駅を抜け、新宿御苑の方向へ進んでいきます。
新宿御苑の新宿門、その脇に内藤新宿分水散歩道があります。
大木戸門までの約540mが水も流れる散歩道となっています。
全区間の整備が終わったのは最近(2012年)。
24時間通行できるわけではなく、休園日もありますが、新宿御苑の外にあるため入場料もかかりません。
のんびりと散歩が楽しめます。
散策路の脇にたくさんの植物が植栽されています。
シュンラン、ニリンソウ、ホタルブクロ、ノカンゾウ、センリョウ、ホトトギス、ノコンギク、キキョウなどなど、まさに「武蔵野の山野草」というイメージのものばかり。
キチジョウソウ(吉祥草)の花が咲いていました!
大木戸門に到着したら、もう少し先まで新宿御苑を進みます。
四谷区民ホールの先にあるのは…
水道碑記(すいどういしぶみのき)です!
1895年(明治28年)に完成したもので、玉川上水開削の由来を記した記念碑です。
漢文で書かれているため、今の私では簡単に読むことはできませんが、いつか読み解いてみたい。
上部の篆字は徳川家達*1によるもの!
となりに四谷大木戸跡もあります。
ああ、江戸名所図会*2なんかで見てきた四谷大木戸がここにあったんだなあ...としみじみしながら近くの説明を読むと、
実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。とのこと。うーん、ほんのちょこっと騙された。
大木戸門より新宿御苑に入り、まっすぐ進むと見えてくるのは玉藻池。
このあたりはもともと内藤家*3の屋敷の敷地内。庭園は玉川園と名付けられていました。
四谷大木戸の水番屋で、江戸市中に送る水量が調整され、余った水は南へ吐き出されます。
この池も、その水を利用していました。
吐き出された水は、さらに南で渋谷川(穏田川)に合流していきます。
こちらもいつか追っていきたいですね。
(記事内写真全て 撮影 2015年10月)
*1 徳川家達(いえさと)は徳川宗家16代当主。明治維新後、最後の将軍徳川慶喜に代わり徳川宗家を継ぎました。
*2 図会(ずえ)と読む。江戸後期に書かれた地誌。江戸名所といいつつも、広く武蔵野の名所を扱っている。長谷川雪旦による写実的で精細な挿絵が、当時の町の様子を知る上でとても貴重な資料となっている。
*3 高遠藩主内藤家。新宿御苑周辺でかなり広い敷地を治めていた。その一部を返還してできた宿場町が内藤新宿。