「多摩のあゆみ」がすごい!



多摩のあゆみ」は、たましん地域文化財団*1が発行している無料の冊子です。

発行は年四回。
多摩信用金庫の店頭で入手できるほか、送料を負担すれば定期送付してもらえます。

多摩の歴史だけではなく、自然や地理まで幅広く扱っていて、どの号もとても興味深い内容。

国立駅から徒歩すぐのところにある、たましん国立支店の6Fにたましん歴史・美術館がありますが、5Fは歴史資料室になっています。
資料の貸出は行っていませんが、多摩地域の歴史資料が豊富に揃っています。
こちらに、「多摩のあゆみ」バックナンバーの在庫があり、今回、欲しかった号を頂いてきました。
残念ながら「第4号 玉川上水」「第34号 玉川上水 そのⅡ」の在庫は残念ながら無し。
人気があったということでしょうか。
(2015年現在、公式webサイトによると「バックナンバーは概ね85号以降は在庫がございます。」とのこと。)


内容についても稀少性があります。

例えば86号の特集は「多摩の剣術」。
剣術の流派についてまとめた本ならばあるかもしれませんし、新選組に関する資料の中には多少の記述があることはあります。
が、「多摩の剣術」にしぼった濃い内容の資料を探すのはとても難しくなっています。
単体での書籍化は難しそうなテーマが、「多摩のあゆみ」で扱われることで、入手しやすい冊子として形に残っています。ありがたい。


無料でいただけるとはいえ、貴重な資料。
大切に、責任を持ってしっかり読み込んでいこうと思います


*1 多摩信用金庫が設立した財団。公益財団法人。

玉川上水のカワセミがお皿に!

陶芸をちょこちょことやっています。

最近仕上がったのが、こちら!

昔、玉川上水で遭遇したカワセミを撮影した写真を元に下絵を起こし、上絵付けしました!
というわけなので、「玉川上水のカワセミ」のお皿です。

こちらは白金陶芸教室さんで完成させました。
形になると、うれしいものですね。

玉川上水の野鳥、野草をどんどん絵付けして、シリーズ化したい!


こんな器もつくっています。

抹茶茶碗。

自分でつくった器で飲むお茶はまた格別。

新宿の高層ビルと玉川上水の関係は


紅葉が舞い散る玉川上水。美しい景色が見られる時期になりました。

さてさて、珍しく西新宿へ出かける機会がありました。
高層ビルが立ち並び、都庁も置かれる副都心。

ある意味では新宿の顔とも言えるのかもしれませんが、なかなか出向く用事もなく。

「新都心」という言葉もあるように、ここが高層ビル群へ変わったのは比較的新しい時期です。


このあたりにあったのが淀橋浄水場。
東京水道発祥の地であったことの証として、蝶型弁が今でも設置されています。

近代水道のはじまり
ドラマでもよく描かれるように、幕末にはコレラが流行し、大問題になりました

衛生面で、どう考えても限界のあった玉川上水。
もちろん、現代の常識から考えると、(多摩川から引き入れた)川の水を飲み水にすることにそもそも無理はあります。
しかし、それとは別に多くの問題があったことも確か。
自殺が多かったことは大問題。
さらに、子供が水路に入って遊ぶ
そして、明治期に2年ほど通船を行ったことでさらに水質が悪化しました。

明治維新後、近代化、近代化と騒いでいた時期。
浄水場もまた、日本の近代化のためにどうしても必要なものだったことでしょう。


本来の玉川上水は、四谷のあたり。
現在の西新宿の位置に作った淀橋浄水場へ玉川上水の水を引き入れるために、代田橋駅付近から、北東へ伸びる新水路が作られました。

西新宿を歩いていて、妙な高低差を感じられたらそれは浄水場の影響です。


(十二社)熊野神社。

エコギャラリー新宿。

淀橋浄水場の工事などで、ほとんどは埋め立てられましたが、このあたり(十二社)は多くの滝が存在した景勝地。
それを意識したのかは分かりませんが、新宿中央公園には滝が。


太田道灌と関係のある猫。

砂川分水予習

玉川上水分水のひとつ、砂川分水(砂川用水/砂川村分水)。

その分水口は松中橋のすぐそばに。

  (撮影 2015年10月)


  (撮影 2015年11月)
柴崎分水口のすぐ隣にあります。左が砂川分水。右が柴崎分水。

本来の砂川分水は、取り入れ口も現在の場所とは異なり、砂川村で利用するためのものでした。
明治期になると通船がはじまった都合もあり、多くの分水口を統合することに。
その際に南側11ヶ所の分水口をひとつにまとめたのが砂川分水口

玉川上水から直接取り入れていた分水口が使えなくなったことで、各村が好き勝手に水量をコントロールすることはできなくなったわけですね。

北側では新堀用水がその役割を担いました。

入り口がまとまった分水の先は深大寺村までのびたため、明治以降の砂川分水は深大寺用水とも呼ばれるようになりました。
下流の深大寺に近い部分を深大寺用水と呼んだ、という考え方もできるのかもしれません。

さて、この分水は小平監視所より上流で取り入れているため、基本的には多摩川の原水が流れていることになります。
その水は現在どこまで続いているのか...?
実踏調査が楽しみです。