残念ながら自殺の名所だった玉川上水
1948年(昭和23年)。
太宰治が山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺をしました。
さて、太宰ファンだけれど玉川上水のことはよく知らないという方が、実際に今のお堀を見て必ず抱く疑問が「この流れでどうやって入水自殺したのか?」というものです。
答えは単純、現在よりも水量は多かったからですね。
さらに今のような柵もなかったため、昔は水路に落下する事故も多かったようです。
浮いて流れてくると、急いで連絡して水を二日くらい止めるんだよ、羽村の方でね。そうすると水が減っちゃうんだよ。そうすんと、つっかえてんの、自殺した女の人がさ、それを揚げるんだ。つっかえる所はいつも決まってるんだ。こう、えぐれてるところで、とぐろまくとかいうことだよ。『小平ちょっと昔』より
(撮影 2015年10月 三鷹市)
その危険さから人喰い川とも呼ばれていた玉川上水。
関わり合いになるのが面倒だと、行き倒れ人を上水に投げ込み、下へ下へと押し流したこともあるらしいです。
比較的新しい記録では、1967年(昭和42年)に若い女性が生まれたばかりの赤ん坊を抱いて身投げしたそうです。
この時には、小平監視所(当時は水衛所)の職員がすぐに見つけ、女性は命を取りとめたとのこと。
しかし、飲み水としても使われていた玉川上水上流で、こんなことが起きていたと考えると衛生面がおそろしい…
参考文献
小平民話の会編(1988)『小平ちょっと昔』小平郷土研究会.
アサヒタウンズ編(1991)『増補 玉川上水―水と緑と人間の賛歌』けやき出版.