砂川源五右衛門さんを調べたい
明治時代にその砂川村の名主様だった「砂川源五右衛門」という人物がいます。
立川の昔話にも登場し、なんと身の丈六尺(180cm以上)、体重二十七貫(約100kg)という巨漢。
小さい頃から武術*1を好み、神道無念流*2の免許皆伝。
若いころに武者修行にも出ていたようです。
そんな源五右衛門ですが、明治に入ると玉川上水の通船を計画し、願い出ます。
また、後に北多摩郡の郡長にもなっています。
昔話と近代を横断する不思議な人物像。
まとまった情報はなかなか見つからず、地道な調査研究が必要になりそうです。
源五右衛門分水は、玉川上水の最も新しい分水。1910年(明治43年)開設。
その側に巴河岸跡もあります。
1870(明治3年)〜1872(明治5年)。
たった2年間の通船でしたが、大きな影響力があったようです。
船は、多摩川と上水路沿岸の村々の産物(野菜、炭、薪、酒、たばこ、ぶどう、茶、木綿、紙等)を運び、帰りに肥料や生活用品を輸送した。上りは、人力で曳舟をした。上りは人力で曳舟、というのは江戸時代にはよく聞く話です。
最盛期には100艘以上の船が行き来したとのこと。
便利な輸送手段でしたが、水の汚染等を理由に廃止。
1889年には新宿ー立川間に甲武鉄道が開通し、新たな輸送手段に。
新しい時代がやってきます。
*1 江戸時代、特に幕末の多摩は武術がとても盛んだった!出稽古によって、江戸・多摩各地のネットワークも生まれていた。そんな中から後に新選組となる近藤勇、土方歳三も誕生。彼らも多摩農家の生まれである。
*2 神道無念流を学んだ人物として有名なのが、桂小五郎(木戸孝允)。新選組の中では永倉新八がそう。近藤勇は天然理心流。坂本龍馬は北辰一刀流。
砂川村にも井滝伊勢五郎という人物による天然理心流の道場があり、少年時代の近藤勇がよく来ていたらしい。
参考文献
立川市教育委員会 (1977)『立川のむかし話』.
小泉智和 (2002)『玉川上水ぶらり散歩』日本水道新聞社.
追記:2016年2月
別記事「砂川源五右衛門」でそこそこ調べました。