砂川分水予習

玉川上水分水のひとつ、砂川分水(砂川用水/砂川村分水)。

その分水口は松中橋のすぐそばに。

  (撮影 2015年10月)


  (撮影 2015年11月)
柴崎分水口のすぐ隣にあります。左が砂川分水。右が柴崎分水。

本来の砂川分水は、取り入れ口も現在の場所とは異なり、砂川村で利用するためのものでした。
明治期になると通船がはじまった都合もあり、多くの分水口を統合することに。
その際に南側11ヶ所の分水口をひとつにまとめたのが砂川分水口

玉川上水から直接取り入れていた分水口が使えなくなったことで、各村が好き勝手に水量をコントロールすることはできなくなったわけですね。

北側では新堀用水がその役割を担いました。

入り口がまとまった分水の先は深大寺村までのびたため、明治以降の砂川分水は深大寺用水とも呼ばれるようになりました。
下流の深大寺に近い部分を深大寺用水と呼んだ、という考え方もできるのかもしれません。

さて、この分水は小平監視所より上流で取り入れているため、基本的には多摩川の原水が流れていることになります。
その水は現在どこまで続いているのか...?
実踏調査が楽しみです。