企画展「ムダ堀の謎をさぐる」と「かなしい坂」

行ってきました、府中市郷土の森博物館。


そこで現在開催されている企画展が「ムダ堀の謎をさぐる」です。

ムダ堀とは、府中市内で見つかった大きな溝跡のこと。
このムダ堀は、「かつて玉川上水をここに掘ろうとして失敗したもの」ではないかという説があるのです。

江戸文化の研究家である三田村鳶魚がその説を考証し、杉本苑子さんの小説『玉川兄弟』にも府中からの取水に失敗するエピソードがあります。
ただし、三田村鳶魚の研究内容はやや「うさんくさい」とされることも多く、小説『玉川兄弟』はあくまで物語。
現在では否定的な見解が主流となっています

とはいっても、掘の跡があったことは確かなこと
一体何のために掘られたものなのか。玉川上水と関係がないとしたら、それはそれでさらなる謎を呼ぶ、興味深い遺構なのです。

会期は2015年10月10日〜2016年3月31日まで。

ただし、この機会を逃してしまったらムダ堀に関する情報が得られなくなるわけではありません。

1階ミュージアムショップで常時販売されている「府中郷土の森博物館 紀要 2012年 第25号*1に、この展示に関係する情報のほとんどが「ムダ堀に関する覚書」としてまとめられています。
今回の展示は、その考察の出典元となった資料の実物を見られる機会、というイメージでしょうか。

府中郷土の森内ではたくさんの復元建築物、そして植物を見られます。じっくり見たらそれだけで一日楽しめます。

川崎平右衛門像。府中出身。
江戸中期に玉川上水と大きな大きな関わりがありました。いつか川崎平右衛門の記事も書きます。


まいまいず井戸もあり。

梅を楽しむにも桜を楽しむにも中途半端なタイミングでしたが、春の野草が咲きはじめていました。

シュンランの花。


カタクリの花。もう咲きはじめているものがあり驚きました。
玉川上水ではまだ葉が出始めたところ。


ユキワリソウの花。これ、好きなんです。キンポウゲ科で、アズマイチゲなんかのイチリンソウの仲間にも似ていますね。


その後しばらく移動しまして、多磨霊園駅付近へ。

ここにあるのが...

かなしい坂」の案内。
玉川上水は、はじめ府中の八幡下から掘り起こし、多磨霊園駅付近を経て調布の神代辺りまで掘削して導水していました。しかし水はこの坂あたりで地中に浸透してしまい、工事は失敗に終わってしまったとされています。この工事の責任を問われて処刑された役人たちが、「かなしい」と嘆いたことからこの名がついたといわれています。
つまり、さきほどの「ムダ堀」のことです。
この坂のあたりで福生の「水喰土」と同様、水を吸い込んでしまい通水できなかった、という伝説のような昔話のような、言い伝え。




地図ではこのピンのあたり。
駅から南西に坂を下り、東郷寺の手前。
府中市観光協会のwebサイトに載っている、地図上のピンが全然違う位置であることに注意です。


*1 2016年現在、通販でも購入できるようです。こちらのリンクより。

小平神明宮 小川村の鎮守さま

玉川上水沿いにあった村の鎮守さまシリーズ。


小川村(現 小平市)の鎮守、小平神明宮です。

社殿が造られたのは1661年(寛文元年)。
殿ケ谷(瑞穂町)の神明社を勧請したものです。

神明宮なので主宰神はもちろんアマテラス。(この神社では大日孁貴命-オオヒルメムチノミコト-としています。)
といっても、江戸時代にはあまり主宰神というものを意識することなく「神明さま」として、そして鎮守さまとして、信仰したものだと思っています。

小川村の開拓をはじめたのは小川九郎兵衛。出身は岸村(武蔵村山市)であり、砂川村を開拓した村野氏とは同郷です。




青梅街道沿いに位置し、公共交通機関からでは若干アクセスの悪い場所にあります。
東大和市駅から青梅街道を歩いて行くか、玉川上水を散歩中に武蔵美あたりで北上する感じでしょうか。



境内の「小川村開拓碑」は小平市の有形文化財。1918年(大正7年)に建立されました。

他の玉川上水沿いの村同様に小川村周辺も、玉川上水開削前には水を得ることが難しい土地でした
玉川上水完成後、野火止用水も開通したことで水の問題が解決。そのタイミングで開拓がはじまります。


小川村周辺の簡単な地図を作図しました。(クリックすると拡大します。)
とにかく面白いのは玉川上水と野火止用水、2つの水路に挟まれた構造!
その中心を青梅街道が通っています。

延宝年間に描かれた「小川村地割図」を見ると、まさにこの感じ。そして、青梅街道沿いに縦割り、短冊形に土地が分けられ、村ができていたことも分かります。

上に、神明宮は「公共交通機関からでは若干アクセスの悪い場所にあり」と書きましたが、昔の小川村の中ではまさにベストポジション!


神明宮から西へしばらく。現在の東大和市駅付近に「青梅橋」の跡があります。
青梅村(現 青梅市)はもちろんもっと北西にあるわけですが、"青梅"街道と野火止用水が交差する場所にかけられたため、この名前がつけられました。
東大和市駅の駅名も、かつては青梅橋駅でした。



撫で牛の石像。人気があります。

砂川学習館の「歴史と文化の資料コーナー」

五日市街道沿いにある「立川市 砂川学習館」に、砂川地域の歴史と文化についての、ちょっとした資料コーナーがあります。


立川市砂川地域 歴史と文化の資料コーナー。

「子育ひろば」のようなスペースもあり、基本的には地域の住民が利用している施設ですが、このコーナーに関しては外部の人間でもまったく問題なく見られます。

重要なのは開館時間。
9:00〜17:00までとなっています。
また、毎月第2第4月曜日は休館日です。(2016年現在)


スペース左側が砂川村、砂川町についての展示スペース。
こじんまりとしていますが、写真が多く、古い時代の砂川の様子が分かります。
玉川上水もあちこちに登場。

右側半分は砂川闘争についての展示になっています。

  
1887年(明治20年)に砂川五番組で購入された半鐘が展示されています。


北には砂川の鎮守である阿豆佐味天神社、西へ進むと、砂川のまいまいず井戸(跡)と蔵の美楽館も近くにあります。

このあたりの歴史散歩ついでに気軽に立ち寄れる資料コーナーです。


さらに、東へ行くと(砂川五番交差点とその東にある砂川五番バス停の間)、昭和初期に建てられた道標があります。こちらはあまり知られていません。

五日市街道沿いに建てられた道標。南北に通っていたのが柴崎道。その交差点の目印だったわけですね。

ところで、最近五日市街道沿いでワカケホンセイインコによく出会います。
注意しつつ見守ります。

川越道緑地古民家園

立川市内北部に、かつて砂川九番に建てられていた古民家を見ることができる場所があります。


こちらが川越道緑地古民家園内、小林家住宅です。入母屋造。


見事な茅葺きですが、こちらは移築時に再現したもの。
移築前(1989年時点)の時点では瓦屋根となっていました。(あまり知られていないと思います。)
特別に文化財として保存されてきた建物をのぞけば、平成の世にまで茅葺屋根が維持されているようなことはなかなかないのでしょうね。

改造された部分(屋根)は容易に元の茅葺きに戻すことができる、という判断から移築復元が決まったそうです。
移築前の解体調査で「嘉永五年(1852年)」と書かれた部材が発見されたとのこと。幕末ですね。
一年後にペリーが浦賀にやってくる、そんな時期です。


アンズの花が満開でした。いいタイミング!ウメの花と見分けることは難しい。


「貯穀倉」と書かれている。建物内で配布されている資料には「味噌蔵」との表記。


「便所(つかえません)」。



ちょうど雛飾りをしている時期でした。複数の雛飾りが展示され、豪華。

さて、建物内を歩いて行くと、あまりにも立派なことに驚きます。もはや武家屋敷のよう。
もちろん、砂川の農家の誰もがこんなに立派な家を持っていたわけではないでしょう。



使われていた農機具が集められ、展示されています。
民俗資料館としても機能しているわけですね。


現在でも、囲炉裏には毎日のように火が入れられています
その煙に防虫効果があり、茅葺きを長持ちさせられるんだとか。


砂川十番組大幟の支柱もここに保存されている。



小林家住宅の隣に土蔵を復元する工事が進んでいます。
2016年春には完成予定なんだとか。楽しみ。



入口付近にある、ムクノキ(椋の木)の巨木!
決して珍しい樹木ではないのですが、このあたりのニレ科の樹木はエノキ、ケヤキが多め。ムクノキはちょっと特別な感じがあります。また春に葉が出てきたら見たい。


こちらはエノキ(榎)
玉川上水ではなかなか見ることのできない太い幹でした。


すぐ隣が川越道緑地になっています。
広くはないものの、コナラ、クヌギが中心の素直な雑木林です。

少しだけ歩いて、シメ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ムクドリ、シロハラ、ツグミに遭遇。
玉川上水の雑木林と同じような環境ですね。


アクセスは若干不便。
多摩モノレールの砂川七番駅、もしくは玉川上水駅から徒歩で15分ほど歩きます。
私は利用したことがありませんが、バスも出ているようです。