「まいまいず井戸」と武蔵野の水
…というのは、現在の東京に暮らしていると実感しにくいことなのかもしれません。
江戸の場合、海の近くを埋め立てた土地が多いため、井戸*2を掘っても水が塩気混じりで飲み水にはできない。
多摩の場合、地下水脈がかなり深いところにある上に、崩れやすい礫(れき)層も深いため地面が掘りにくい。
水の問題が簡単に解決できていれば、玉川上水を作る必要はなかったことでしょう。
もちろん、簡単には解決できないので、玉川上水が必要だったわけです!
江戸時代に玉川上水が完成したことで、飲み水の問題が解決された江戸は百万都市に成長し、分水網によって多摩の新田開発も進みました。
『玉川上水 武蔵野 ふしぎ散歩』
さて、それ以前に多摩の水問題をなんとか解決しようと作られていたのがまいまいず井戸です。
*1 もちろん、多摩全域で全く水が得られないわけではありません。湧き水や川のそばでは大昔の遺跡がよく見つかっています。
*2 時代劇での江戸の町には井戸が登場します。井戸端会議も行われます。そのほとんどは地下水による井戸ではなく、玉川上水や神田上水の水を溜めている上水井戸です。
(撮影 2013年11月 羽村市のまいまいず井戸)
羽村駅から徒歩1分!東京都指定史跡「まいまいず井戸」。
東京都教育委員会の解説を読んでみると、
地元伝説では大同年間(八〇六〜八一〇)に創始されたものとしているが典拠はない。形態および板碑などの出土からみて、鎌倉時代の創設と推定される。とのこと。
元文六年(一七四一)に、当時の五ノ神村の村中の協力で井戸普請が行われた記録があり、その後も数回修復されてきたが、ともあるので、現在の姿は、この江戸時代における井戸普請時に近いものでしょうか。
螺旋状通路の中心に井戸がある構造。ぐるぐると回って降りなければ井戸に辿り着けないこの形は面倒にも思えますが、よく考えられていると思います。
まずは広く掘る、その中心に井戸を掘ることで深さを稼いでいるわけですね。
豪雨時には、いろんなものが中心に集まってしまいそうではありますが...
(撮影 2015年4月 羽村の桜)
まいまいず井戸のある羽村は玉川上水の出発点でもあり、春には見事な桜も見られます。
(撮影 2015年4月 羽村市郷土博物館)
羽村市郷土博物館では玉川上水の情報がたっぷり得られます!
なんと入館料無料。
(撮影 2015年3月 府中市郷土の森博物館内 まいまいず井戸)
まいまいず井戸を見られる場所は、羽村以外にも数箇所あります。
その一つが府中郷土の森博物館にあるもの。
こちらは、羽村のまいまいず井戸を参考に復元したとのことなので、親戚のようなものですね。
(撮影 2015年3月 府中市郷土の森博物館内 水車小屋)
府中郷土の森博物館では水車小屋も見られます。
かつては武蔵野のあちこちで、こういった水車が使われていたとのこと。
玉川上水の分水に設置されたものも多数。
そのほとんどは役目を終え現存していませんが、いくつかの場所で見ることができます。
いつか「武蔵野の水車」も深く掘り下げて調査してみたいですね!
参考文献
福田恵一,飯島満 (2011)『玉川上水 武蔵野 ふしぎ散歩』農文協.