神明社 中里新田の鎮守さま
(撮影 2015年12月)
立川市、中里の神明社(神明神社、神明宮)です。
「神社明細帳」などでは、享保三年(一七一八)頃の創建としている。とのこと。
このあたり一帯の産土神です。
中里は市内最西端、昭島市との市境に位置しています→砂川村地図
「玉川上水の分水(殿ケ谷分水)を利用して発展した村」という形で玉川上水と関係しています。
中里新田の開拓者である中里氏は川崎村(現在の羽村市内)に住んでいて、この神明社も川崎村の神明社を分社したものです。
「◯◯新田」の名付け方は、開拓者の姓が用いられる場合と、開拓者の出身村が用いられる場合がほとんどです。ここ中里新田は前者。
おとなりの殿ケ谷新田や芋窪新田は後者となります。(それぞれ殿ヶ谷村、芋窪村の人々による開拓)
中里新田は、いわゆる享保新田。
江戸初期の開拓ではなく、中期に積極的に行われた開拓の流れのなかで誕生した新田のひとつですね。
現在の住所は立川市西砂町。
境内社の愛宕社、稲荷社も含め、最初からこの位置にあったわけではありません。
神明社の北西、横田基地内に位置していたため、後に現在の場所に移されました。
現在の場所に移されたのは1949(昭和24年)ごろ。
神明社の左奥にあるのが愛宕社。
「天明二壬寅四月吉日 愛宕 権現」と刻まれています。
天明2年4月は西暦では1781年。
右奥には稲荷社も。ひっそりとしています。
教育委員会の解説板どころか、何の説明書もないことが悲しい。
朱色の目立つ稲荷社はともかく、愛宕社のほうは見ても何が祀られているのか分からない方もいるでしょうね。
もっとも、「観光地」ではない神社のあり方はこれで良い、という考え方もできますが...
かろうじて「歴史と文化の散歩道」のコース説明には神明社の位置が記されています。
すぐ側の緑道は「殿ケ谷緑道」。
玉川上水からの分水である「殿ケ谷分水」を暗渠化にして、緑道として整えたものです。
人通りも少なく、気持ちの良い散歩道になっています。
参考文献
榎本直樹(1993)『砂川の神社と寺院』立川市教育委員会.