「玉川上水のタヌキを調べる」高槻成紀

武蔵野美術大学で行われた、 トーク「玉川上水を探検する」の第二回。


高槻成紀先生による「玉川上水のタヌキを調べる」でした。
進行は関野吉晴先生。
4/18(水)16:30~18:00(実際は19:00近くまで)

今回も、前回同様集まったお客さんはおそらく100人以上
ムサビの学生と、地域の住民がたくさん集まりました。




私はすでに高槻先生の『タヌキ学入門』を読んでいたので、その本の内容と被る部分も多かったのですが、とにかくお話が面白く、勉強になった回でした。



いくつか要点などを。

・2008年〜2010年に自動撮影による調査が行われた。タヌキのほか、ハクビシン、テン、キツネ、ネズミ類が撮影された
・テンやキツネの生息は山地に近い西よりに限られるが、タヌキに関してはそうでもない。下流でも、まとまった藪があれば生息する。徹底した下刈りが行われていない、常緑低木の多いエリアに多い
タヌキは「ため糞」をする。トイレの場所が決まっていて、毎回同じ所に糞をするため、どんどん貯まっていく。そこからタヌキの食べた植物の種子が発芽する。
・東京オリンピックの時代、東京の開発はさらに進み、多くの緑地が失われた。暗渠化したり、途切れてしまった部分はあるものの、玉川上水の緑地が残っているのは貴重な事例。
・東北での生活が長かった先生にとって、玉川上水の林はある意味「ちゃっちい林」。大したものではないとも言える。ただ、東京都内、市街地の中にこれが残る意味が大きい。
・「市民が取り組むべきことは?」自分の住んでいる地域の自然を知ることが大事。


個人的にも、ある意味「大したことはない林」というのは大きなポイントだと思っています。特に外部から来た専門家の方が、決してけなす意図があるわけではなく、玉川上水の林についてこういった表現をすることがよくあります。
たしかに「山奥に残るブナの原生林」のような方向性の価値がある林ではありません。どこで撮影しても絵になるような林でもないかもしれません。しかし、生活と密着した場所に、こういった林が残っている価値は決して低くないのではないでしょうか。

玉川上水駅通路の鳥避けネット

玉川上水駅」は玉川上水に架かる清願院橋の位置に作られた、西武拝島線 / 多摩都市モノレールの駅です。
玉川上水を歩いて行くと、駅に入場もしくは南北に行き来するための通路の入り口にたどり着きます。
その通路の鉄骨屋根部分に最近、鳥の侵入を防ぐためのネットが設置されました。
(3月26日か、もう少し前くらいのタイミング。)


普段からドバトとムクドリのねぐら、休憩所となっていました。
ほぼ常時、どちらかの鳥はいたような状態だったと思います。


ドバトの糞の掃除はかなり大変だったことでしょう。
このネットの設置でひと安心。

ところが…


どこからかムクドリが入り込んでしまいました。
入ったはいいものの、出口が見つからなくて大変。
狭い場所をバタバタと飛び回れば羽根もひっかかってしまいます。

  
ドバトが入り込んでいるところも見かけたことがあります。

 
このとおり。


最近見かけることが多くなった、鳥避けのトゲトゲ。(正式名称知りたい。)
これも設置。


しかし、良い場所を見つけてちゃっかり休んでいるドバト。
ライトの上は安全だったようです。ちょっとまぶしい気もしますが...


そして、残念ながらライトの下が糞だらけ。
余計に掃除が大変そうです。


「この場所で休む」という習慣はそう簡単に抜けないようで、なんとか休む場所を探しているようです。



個人的に、ネットの設置は賛成です。
糞の掃除はかなり大変だったと思いますし。

ムクドリがここに営巣していたこともあるのですが、大雨が降っても嵐が来ても問題なく、外敵も入りにくい、「安全過ぎる」巣となっていたように思います。
都市部を中心に、増え過ぎが社会問題になりつつあるムクドリ。特に人工物に営巣するようになってから爆発的に増えていったのだと思います。
ここではなく上水の林で営巣して、ほどよいバランスで増えていってほしいものです。

あまりよろしくないと思うのは「只今、関係業者に連絡し調査を行っています。」としている、隙間から鳥が入ってきてしまう問題です。
現状、「無理すると入ることができてしまうが、出ることは難しい」状態になっているようで、ある意味では罠のような状態になってしまっています。
どうなることやら。


4月に追記。

ついにムクドリがネット内で死んでいるところに遭遇。

つがいなのか、別の1羽がネットの外から鳴いて呼びかけ続けていたのですが、ネット内の個体はすでに動かなくなっていました。
隙間から入ってしまう問題については「只今、関係業者に連絡し調査を行っています。」の張り紙がされたまま。
うーむ。半端な施工はいけません。

増えすぎて困っている場合もあり、駆除を望む声のある野鳥だとしても、こういう形で、積極的な駆除をするつもりのない仕掛けで死んでしまう状況はあまりよろしくないですよね。

4月の花だより その3

玉川上水で見られる野草、山野草、雑草、樹木、花をご紹介!


4月の花だより その1はこちら
4月の花だより その2はこちら

なかなか観察に忙しい時期で、じっくりブログを書く時間を確保できずにいます。最近。



サトザクラが咲き始め~満開!
立川市内、見影橋周辺にはソメイヨシノの他にサトザクラが植えられています。
ソメイヨシノの見頃は過ぎていますが、まだまだ桜が楽しめます。


ハルジオンの花。がんがん増えている帰化種。
ヒメジョオンと見分けるのはやや難しいものの、この時期に咲いているものはほぼハルジオン。
つぼみがうなだれていること、茎を切ってみると中が中空になっていることでハルジオンだと確信できます。
こうやって見てみると、他のキク科の植物と比べて舌状花がかなり細く糸状。これもヒメジョオンよりはハルジオンに顕著。


ジロボウエンゴサク。ケシ科キケマン属。


ニセアカシア、ハリエンジュの新芽。
まだ去年のさやが残る。


スイセン類の果実。ニホンズイセンには種子ができないはず。
園芸種のためこのように結実するということでしょうか。


クマシデの雌花。


オニノゲシの葉。
ノゲシとの区別がややこしいオニノゲシ。葉のトゲ部分に固さがあり、少し痛いほうがオニノゲシ。
そしてオニノゲシはこの写真のように、葉の付け根部分、茎を抱いている部分がくるっとまるくなります。


ゲッケイジュの花。植樹されたものでしょうね。


ホソバオオアマナかその近縁種。
アマナに似た花をつけますが、園芸種。


ハリギリと思われる若木が成長しています。他の場所ではあまり見られないこの木。残すのかな。


ゴンズイの新芽。
まるで常緑樹の葉のように、ギラギラとテカりがあります。
成長とともにもう少し落ち着くはず。


タチイヌノフグリ。帰化種。
オオイヌノフグリに比べるとやや局所的に見られる気がする。


カタバミ。葉はハート型。


オドリコソウ。これは植栽したもの。
昔は玉川上水周辺でも、限られた場所で見られたとのこと。


タケノコ!


ムクノキの若い葉。若々しい!


フデリンドウ。斑入りのような感じで、葉の葉緑素がほとんど抜け落ちていた個体。
無事に咲きました。


キュウリグサ。花の中心が黄色い。


イカリソウの花。

玉川上水 空堀に関するメモ

玉川上水が空堀化する流れについて、時系列順にまとめ。


1965年(昭和40年)、淀橋浄水場が廃止。

淀橋浄水場が廃止になった時、千川上水、三田用水、品川用水はまだ分水していた。
品川用水は仙川の水田に使う分水。

千川上水は板橋浄水場へも送られていた。大蔵省印刷局王子工場(北区)が1971年(昭和46年)まで使用。
その後工業水道にきりかえ。
そのタイミングで小平・小金井の玉川上水が空堀に。

しかし三田用水はその三年後まで恵比寿のビール工場で使用。
そのための水は村山貯水池から境浄水場へ送った原水の一部を玉川上水に流していた。

その後、原水を少しでもムダにしたくないという東京都の考えにより、監視所から下流を水のない川に。

ただ、井の頭公園をすぎた三鷹市牟礼から下流では、しみだした地下水が流れとなっていた。
都水道局小平監視所から下流に、ほとんど水が流されなくなった間も、井の頭恩賜公園裏の「新橋」付近から下流には、いつも澄んだ流れが見られた。井の頭池は「七井の池」と呼ばれ、湧水が豊富だったから、「新橋」付近に湧水があっても不思議ではない。現在、下流の方に水量が多く見られるのは、井の頭付近の湧水が加わっているのではないか。
アサヒタウンズ編(1991)『玉川上水―水と緑と人間の賛歌』より。



玉川上水の通水について簡単に説明した文章を読むと「1965年(淀橋浄水場が廃止)〜1986年(清流復活)の間、小平より下流はまったくの空堀だった」という印象を受けてしまうがそうでもない!というところがポイント。
※もちろん、水量は多くなかったため、どちらにしても壁面の崩壊が進む原因にはなっていました。



「20年の間、小平から先は空堀だった」と「43Kmにおよぶグリーンベルト」は玉川上水2大ガセと言ってもいいのかもしれない。
緑道はあちこち途切れてしまっています。どちらの情報も完全に間違いだとは言えないものの、簡単な説明を受けた場合にそういう印象を持ってしまう可能性があるというタイプのガセです。



参考文献
肥留間博 (1991)『玉川上水―親と子の歴史散歩』たましん地域文化財団.
渡部一二(2004)『武蔵野の水路―玉川上水とその分水路の造形を明かす』東海大学出版会.
ほか


追記。さらに裏付け。

江戸東京たてもの園 特別展「小金井の桜 ー春の江戸東京名所めぐりー」の記事にも書いたように、

「名勝小金井 桜絵巻」 という冊子の中に
しかし、昭和四六年頃、小平監視所より下流の玉川上水の通水が停止してからは、次第に水路の荒廃が進み、ケヤキを中心とする高木が旺盛に繁茂し、わずか二〇年ほどで雑然とした雑木林に変わってしまいました。
と記述されています。
昭和46年=1971年。
やはり1965年(昭和40年)に淀橋浄水場が廃止したタイミングではないですね。

追記。
「玉川上水と用水 会報第一号」より
小坂克信先生による橋の実測についての文から。

1983年(昭和58年)時点での調査内容から、水のあるなしが伝わってくる。
まつかげ橋あたりから、深さは5m以上になるが、子どもが降りて、橋の下あたりによどんでいる泥水の中からザリガニを取っている。

ザリガニ取りは、井の頭橋、宮下橋、あずま橋、岩崎付近でも見かけ、宅地の中に住む子にとっては、数少ない自然と触れあう機会になっているようだ。

牟礼橋の下流では、カルガモが泳いでいる。なお、茜橋付近の川底は水がなく、腐葉土状でフワフワしているが、この付近に水があるのは、どうしてか疑問に思う。
維持通水の他に、どこからか流れ込んでくる水もあっただろうし、雨が降れば水は多少増える。
水不足の時期を除けば、全くの空堀になることはなかったはず。