吉田吉之助『玉川上水物語』

講談「玉川上水の由来」関連の話題です。

吉田吉之助さんはとんかつ中心の料理店「かつ吉」の創業者です。
それだけ聞くと玉川上水とは何の関係もないように思えますが...

かつ吉さんのwebサイトに「吉田吉之助文庫」というコーナーがあり、吉田吉之助さんの著作物が紹介されています。

その中にあるのが「庖丁余語第八号 『玉川上水物語』」。
昭和46年1月刊。

内容を読んでみると、講談「玉川上水の由来」と内容がそっくり。
玉川上水完成目前の頃の、玉川兄弟と一人の按摩さんの物語です。

この講談がいつ頃成立したのか気になっていたのですが、
この上水開設にまつわる昔譚は、
江戸の頃、高座で語られたということであるが、
との記述があり!

吉田吉之助氏は明治43年生まれなので実際に江戸後期にその話を高座で聞いたわけではなく、「江戸の頃高座で語られたといわれる物語」を文章に起こしたということでしょう。

謎が少し解けました。

江戸時代にも庄右衛門、清右衛門の活躍が高座で語られていたと考えるとわくわくしますね!

ちなみに、講談「玉川上水の由来」で違和感のあった玉川村の百姓という設定は、こちらの『玉川上水物語』にはありません。
按摩さんの人生について深く掘り下げられていること、すでに座頭となっていることも設定が違います。(玉川上水完成後、将軍さまに按摩の話をして「その座頭検校に取り立てて頂きたい」と申し出るが、大捜索してもその按摩が見つかることはなかった、という流れ。)

※補足。検校(けんぎょう)は座頭よりもさらに上、最高位の盲官の位。講談の中では座頭になるのに300両、検校になるには1000両必要だと言っていた。

史跡玉川上水整備活用のための作業説明会

2016年8月23日(火)19:00~20:30
「史跡玉川上水整備活用のための作業説明会」が開かれました。

上水新町地域センターにて。
 

東京水道局と市の職員、施工業者による
小平監視所より下流の伐採、剪定についての説明。

集まった参加者は10人~14人ほど。



東京水が配布されました。
東京都水道歴史館でももらえるお馴染みのお水ペットボトル。
行ってきました上水記展


内容についてはまとめるのに時間がかかりそうなので、まずは報告のみ。

3つの台風と玉川上水

2016年8月22日(月)、3つの台風が接近しました。
台風第9号 (ミンドゥル)台風第10号 (ライオンロック)台風11号(コンパス)の3つ。

関東でもあちこちの川が氾濫し、警報ラッシュとなっていました。

風雨が落ち着いたタイミングで玉川上水の様子を見てみると...

折れた枝と葉がかなりたくさん。
そもそもハイイロチョッキリ(虫)のしわざにより、短い枝とどんぐりはたくさん落ちているのですが、虫のしわざであるはずのない太い枝も落下しています。危険。


荒れた天気の中、多く見つかった意外な昆虫はアオバハゴロモ
風雨から逃げて逃げて辿り着いたのがエノキの大木。

写真では分かりにくいのですが、一本の木に50頭以上!



玉川上水を流れる水の量はたしかに増えて濁っています。
ただし、江戸時代に比べたら普段の水量はかなり少なくなっています。
多少増水しても、溢れる心配はなさそうです。


こんな天気の中、遭遇したボロッボロのオオミズアオ


落下したエノキの枝と果実。
台風がなくてもポロポロと落下していた果実がかなり増えています。


熟しきっていないケヤキの果実。あまり見る機会は多くない気がする。


玉川上水と残堀川の交差点。
普段は干上がっていることも多い残堀川ですが、異常な水量になっています。


南を向いたところ。
平常時にはかなり水量が少なくても、豪雨時には氾濫しやすい川なのです。(おそらく明確な原因があると思うのですが、まだ勉強不足。)




暴風雨で、鳥や昆虫たちがどのくらいの被害を受けるのか、もしくは意外な利益があったりするのか、調査は難しく分からないことばかりですが気になっています。
体感ですが、天気が荒れた翌日には普段見られない生き物がよく見つかります。

玉川上水沿いに描かれた謎の落書き

立川市内の玉川上水北側を歩いていると見つかる、謎の落書き!


この図形は一体何なのか...!?


となりには「SUNAGAWACHOOO」と書かれています。
もちろん砂川町のこと。このあたりは立川市砂川町です。



実は赤い丸にも意味があります。

ヒント(というより答え)はこちら。どどん。


スプレーで描かれた落書きは残念ではありますが、若干文化的な香りもします。
かなり昔からあると思っていますが、正確にはいつ描かれたものなのか、機会があったら調査してみたいと思っています。