吉田吉之助『玉川上水物語』
吉田吉之助さんはとんかつ中心の料理店「かつ吉」の創業者です。
それだけ聞くと玉川上水とは何の関係もないように思えますが...
かつ吉さんのwebサイトに「吉田吉之助文庫」というコーナーがあり、吉田吉之助さんの著作物が紹介されています。
その中にあるのが「庖丁余語第八号 『玉川上水物語』」。
昭和46年1月刊。
内容を読んでみると、講談「玉川上水の由来」と内容がそっくり。
玉川上水完成目前の頃の、玉川兄弟と一人の按摩さんの物語です。
この講談がいつ頃成立したのか気になっていたのですが、
この上水開設にまつわる昔譚は、との記述があり!
江戸の頃、高座で語られたということであるが、
吉田吉之助氏は明治43年生まれなので実際に江戸後期にその話を高座で聞いたわけではなく、「江戸の頃高座で語られたといわれる物語」を文章に起こしたということでしょう。
謎が少し解けました。
江戸時代にも庄右衛門、清右衛門の活躍が高座で語られていたと考えるとわくわくしますね!
ちなみに、講談「玉川上水の由来」で違和感のあった玉川村の百姓という設定は、こちらの『玉川上水物語』にはありません。
按摩さんの人生について深く掘り下げられていること、すでに座頭となっていることも設定が違います。(玉川上水完成後、将軍さまに按摩の話をして「その座頭を検校に取り立てて頂きたい」と申し出るが、大捜索してもその按摩が見つかることはなかった、という流れ。)
※補足。検校(けんぎょう)は座頭よりもさらに上、最高位の盲官の位。講談の中では座頭になるのに300両、検校になるには1000両必要だと言っていた。