小平神明宮 小川村の鎮守さま

玉川上水沿いにあった村の鎮守さまシリーズ。


小川村(現 小平市)の鎮守、小平神明宮です。

社殿が造られたのは1661年(寛文元年)。
殿ケ谷(瑞穂町)の神明社を勧請したものです。

神明宮なので主宰神はもちろんアマテラス。(この神社では大日孁貴命-オオヒルメムチノミコト-としています。)
といっても、江戸時代にはあまり主宰神というものを意識することなく「神明さま」として、そして鎮守さまとして、信仰したものだと思っています。

小川村の開拓をはじめたのは小川九郎兵衛。出身は岸村(武蔵村山市)であり、砂川村を開拓した村野氏とは同郷です。




青梅街道沿いに位置し、公共交通機関からでは若干アクセスの悪い場所にあります。
東大和市駅から青梅街道を歩いて行くか、玉川上水を散歩中に武蔵美あたりで北上する感じでしょうか。



境内の「小川村開拓碑」は小平市の有形文化財。1918年(大正7年)に建立されました。

他の玉川上水沿いの村同様に小川村周辺も、玉川上水開削前には水を得ることが難しい土地でした
玉川上水完成後、野火止用水も開通したことで水の問題が解決。そのタイミングで開拓がはじまります。


小川村周辺の簡単な地図を作図しました。(クリックすると拡大します。)
とにかく面白いのは玉川上水と野火止用水、2つの水路に挟まれた構造!
その中心を青梅街道が通っています。

延宝年間に描かれた「小川村地割図」を見ると、まさにこの感じ。そして、青梅街道沿いに縦割り、短冊形に土地が分けられ、村ができていたことも分かります。

上に、神明宮は「公共交通機関からでは若干アクセスの悪い場所にあり」と書きましたが、昔の小川村の中ではまさにベストポジション!


神明宮から西へしばらく。現在の東大和市駅付近に「青梅橋」の跡があります。
青梅村(現 青梅市)はもちろんもっと北西にあるわけですが、"青梅"街道と野火止用水が交差する場所にかけられたため、この名前がつけられました。
東大和市駅の駅名も、かつては青梅橋駅でした。



撫で牛の石像。人気があります。

3月の花だより その3

玉川上水で見られる野草、山野草、雑草、樹木、花をご紹介!

3月の花だより その1はこちら
3月の花だより その2はこちら


3月7日の夜から8日の朝にかけて、東京全域に濃霧が発生しました。
8日の昼過ぎを過ぎても湿度が100%近いような天候。気温も5月並のポカポカとなりました。

そんな天候の影響を受けてか、春の花や新芽がすごい勢いで成長しています。
観察が追いつかないくらい...!!


シュンラン(春蘭)の花
ずっと楽しみにしていた花が咲きました!
落葉樹林に咲く、野生のランとしておなじみ。花は独特の形状ですが、これが好き。
花の部分は食用にもなるんだとか。


コブシ(辛夷)の花
ついに開花しました。下の写真は、ふかふかの花芽から開いて花になっていることが分かりやすい。


ジンチョウゲ(沈丁花)の花
ついに満開。あたりに春の香りが広がっています。


アジサイ(紫陽花)の新芽
ここまで成長しています。もうすぐにはっきりとした葉の形になりますね。


オオアラセイトウ(大紫羅欄花)の花
増えてきました。この花が増えると、地面がだんだんと鮮やかになっていきます。


識別に自信がないのですが、在来種のシロバナタンポポの花だと思います。
落ち葉の多い林床にきれいに花が咲きました。


オオイヌノフグリ(大犬の陰嚢)の花
いわずとしれた雑草。春にはどこでも見られますね。玉川上水には意外と少ないのかも。
明治期に入った外来種。


ニワトコ(接骨木)の新芽とつぼみ
ブロッコリーのような?パセリのような?細かいつぼみ。
食べ過ぎると危険という話も聞きますが、食用になります。食べてみたい!


ウグイスカグラ(鶯神楽)の花
ずいぶん前から花は咲いていましたが、葉が多く出てきて豪華になりました。


まだまだ一部に残るクヌギの葉!しぶとい!
ヤマコウバシの葉もしっかり残っているのを見かけます。


スイセンですが、ペーパーホワイト系の品種。
土手道路側の斜面にたくさん咲いています。笹を刈った下からしっかりと成長。


ハコベの仲間と思いますが、識別に自信なし。
そっくりな植物がたくさんあります。


サンシュユ(山茱萸)の花
玉川上水付近の公園にて。

 
アセビ(馬酔木)の花
ついにしっかりと開花しました。


カンスゲ(寒菅)の花
ボソボソ、モジャモジャとした花をたくさんつけます。玉川上水のあちこちで見られ、春の花よりも早くから開花していたので目立っていました。



マユミ(真弓)の新芽
成長メモ。もうここまで育っています。

砂川学習館の「歴史と文化の資料コーナー」

五日市街道沿いにある「立川市 砂川学習館」に、砂川地域の歴史と文化についての、ちょっとした資料コーナーがあります。


立川市砂川地域 歴史と文化の資料コーナー。

「子育ひろば」のようなスペースもあり、基本的には地域の住民が利用している施設ですが、このコーナーに関しては外部の人間でもまったく問題なく見られます。

重要なのは開館時間。
9:00〜17:00までとなっています。
また、毎月第2第4月曜日は休館日です。(2016年現在)


スペース左側が砂川村、砂川町についての展示スペース。
こじんまりとしていますが、写真が多く、古い時代の砂川の様子が分かります。
玉川上水もあちこちに登場。

右側半分は砂川闘争についての展示になっています。

  
1887年(明治20年)に砂川五番組で購入された半鐘が展示されています。


北には砂川の鎮守である阿豆佐味天神社、西へ進むと、砂川のまいまいず井戸(跡)と蔵の美楽館も近くにあります。

このあたりの歴史散歩ついでに気軽に立ち寄れる資料コーナーです。


さらに、東へ行くと(砂川五番交差点とその東にある砂川五番バス停の間)、昭和初期に建てられた道標があります。こちらはあまり知られていません。

五日市街道沿いに建てられた道標。南北に通っていたのが柴崎道。その交差点の目印だったわけですね。

ところで、最近五日市街道沿いでワカケホンセイインコによく出会います。
注意しつつ見守ります。

川越道緑地古民家園

立川市内北部に、かつて砂川九番に建てられていた古民家を見ることができる場所があります。


こちらが川越道緑地古民家園内、小林家住宅です。入母屋造。


見事な茅葺きですが、こちらは移築時に再現したもの。
移築前(1989年時点)の時点では瓦屋根となっていました。(あまり知られていないと思います。)
特別に文化財として保存されてきた建物をのぞけば、平成の世にまで茅葺屋根が維持されているようなことはなかなかないのでしょうね。

改造された部分(屋根)は容易に元の茅葺きに戻すことができる、という判断から移築復元が決まったそうです。
移築前の解体調査で「嘉永五年(1852年)」と書かれた部材が発見されたとのこと。幕末ですね。
一年後にペリーが浦賀にやってくる、そんな時期です。


アンズの花が満開でした。いいタイミング!ウメの花と見分けることは難しい。


「貯穀倉」と書かれている。建物内で配布されている資料には「味噌蔵」との表記。


「便所(つかえません)」。



ちょうど雛飾りをしている時期でした。複数の雛飾りが展示され、豪華。

さて、建物内を歩いて行くと、あまりにも立派なことに驚きます。もはや武家屋敷のよう。
もちろん、砂川の農家の誰もがこんなに立派な家を持っていたわけではないでしょう。



使われていた農機具が集められ、展示されています。
民俗資料館としても機能しているわけですね。


現在でも、囲炉裏には毎日のように火が入れられています
その煙に防虫効果があり、茅葺きを長持ちさせられるんだとか。


砂川十番組大幟の支柱もここに保存されている。



小林家住宅の隣に土蔵を復元する工事が進んでいます。
2016年春には完成予定なんだとか。楽しみ。



入口付近にある、ムクノキ(椋の木)の巨木!
決して珍しい樹木ではないのですが、このあたりのニレ科の樹木はエノキ、ケヤキが多め。ムクノキはちょっと特別な感じがあります。また春に葉が出てきたら見たい。


こちらはエノキ(榎)
玉川上水ではなかなか見ることのできない太い幹でした。


すぐ隣が川越道緑地になっています。
広くはないものの、コナラ、クヌギが中心の素直な雑木林です。

少しだけ歩いて、シメ、シジュウカラ、ヒヨドリ、ムクドリ、シロハラ、ツグミに遭遇。
玉川上水の雑木林と同じような環境ですね。


アクセスは若干不便。
多摩モノレールの砂川七番駅、もしくは玉川上水駅から徒歩で15分ほど歩きます。
私は利用したことがありませんが、バスも出ているようです。