シラサギ(コサギ・ダイサギ)


(撮影 2015年12月)
玉川上水 分水路の調査会中、ダイサギに出会いました。
こういった水路では少し珍しい、木の枝に止まるサギ。
(営巣地では、林にサギの仲間がうじゃうじゃいますが...)
なかなか絵になります。



(撮影 2015年11月 稲城市)
別の場所でも最近出会った、枝に止まるサギ。こちらはコサギです。


(撮影 2015年5月 神田川)
ドジョウを食べるコサギ。

コサギ、チュウサギ、ダイサギを総称して「シラサギ(白鷺)」と言います。
ダイサギとコサギでは、大きさ・体型がはっきりと違います。
他にも、コサギはくちばしが黒く、足の先だけが黄色いことが特徴で、識別しやすいポイントになっています。

ダイサギとチュウサギの識別はかなり難しいのですが、チュウサギは夏鳥
冬に大型のシラサギを見かけた場合、ほぼダイサギだと思われます。
しかし、ダイサギも厳密にはオオダイサギチュウダイサギに分かれるため(亜種)とてもややこしい。


(撮影 2014年12月 多摩川)
多摩川ではすさまじい数のサギ類・カワウの集団を見ることができます。
写真におさめても、何羽いるのか数えるのは大変な作業。


他にも玉川上水で見られるサギの仲間には、アオサギゴイサギがいます。
こちらは見た目がはっきりと違うので、識別は容易。

(撮影 2013年7月)
アオサギ。成鳥はかなりの大きさ。


(撮影 2015年1月 井の頭公園)
こちらはゴイサギ。
私自身はまだ、玉川上水でゴイサギを見かけたことがありません。

2015年の東照宮巡り

今年は家康公四百年祭でした。(正式名称:徳川家康公顕彰四百年記念事業)


日光の東照宮でも400年式年大祭が行われた2015年。

せっかくなのでなるべく多くの東照宮を参拝しようと、一年かけて各地を巡ってきました。


おなじみ日光東照宮(平成の大修理中)。



久能山東照宮。静岡。
最初に家康公が埋葬された場所。


仙波東照宮。川越に。
久能山から日光へ移葬される際、日光街道を通ったものと勝手に思い込んでいたのですが、実際はもっと西の経路から北上していたんですね。
途中、喜多院で法要が行われ、ここに東照宮も建てられました。


滝山東照宮。愛知県岡崎市。
岡崎は家康公の出身地でもあります。


上野東照宮。上野周辺に外国人観光客が増えたため、こちらにも殺到しています。


(撮影 2007年1月)
実は、修復前の上野東照宮へも一度だけ行ったことがあります。全く別物ですね。


その他、金沢東照宮、浜松東照宮など多くの東照宮に参拝しました。
しかし、日光東照宮で入手した書籍によると、なんと全国の東照宮の数は五百社にも及ぶとのこと。
東京にも五十一社あるということなので驚き!


日光東照宮と久能山東照宮、それに仙波東照宮と滝山東照宮のどちらかを合わせて「三大東照宮」と呼ばれることが多いようです。
日本に数多く存在する三大○○ですが、「2つのすごいものがあり、うちのこれも同じくらいすごいものだよ!」とアピールするために三大○○と呼び始めたケースが多い模様
そのため、2つは文句無しに決定だが3つ目は諸説あり、というパターンが非常に多くなっています


さて、家康公が亡くなったのは1616年。今年2015年に400年式年大祭。
あれっ?と思われた方も納得した方もいるのではないでしょうか。
ここにとてもややこしい問題があります。

納得された方は、年忌は普通数え年(亡くなった年を1年目と考える)でカウントするということで納得したのでは。
しかし、東照宮は神仏分離後、神社になっています。
東照宮ではお寺のように四百回忌という言い方はしません。
そして、式年祭は基本的に数えではないはずなのです。四百年祭ならば2016年に行うはず。

これについて、念のため日光東照宮にも問い合わせたのですが、即答できない程度にはややこしいようです。
結局のところ、江戸時代、神仏習合の頃には数えでカウントしていたことが大きいようでした。
神社になり神式になったからといって再計算せず、江戸時代に行われていた法要から数えて◯年後というタイミングで行うため、自然に数えの計算になっているようです。
そもそも、明治以降の神社行事も、ほとんどが数え年による計算。
そして、輪王寺では2015年を四百回御遠忌としています。
お寺ですから当然です。これと東照宮の式年祭が1年ずれるのもおかしいでしょう。


では、家康公の没後400年とは何年なのでしょうか?
これも、「没後◯年」の使い方がかなり曖昧で定まっていないようです

例えば1950年に亡くなった人物の五十回忌は1999年になります。
その人物が著名人だったとして、その五十回忌、1999年のタイミングで「今年は没後五十年であり…」と話題になることはあります。
と同時に、2000年に没後五十年イベントが行われることもあります。

家康公も同様。
今年(2015年)に没後400年イベントがたくさん行われ、来年(2016年)にも没後400年イベントがたくさん行われるようです
なんということでしょう!
どちらかといえば、個人的には前者のタイミングでは「没後◯◯年」という表現は使わず、「◯◯回忌」とだけ言う方がすっきりする気がしますが....


ポイントは、年忌法要が盛大に行われるかどうかということなのだと思います。
そちらが一般人にもニュースとして耳に届くほど話題になる場合、そのタイミングに合わせてイベントが行われ、没後◯◯年という表記をすることもある。
その場合、単純な足し算による没後◯◯年とはずれることがある、ということでしょう。


実際の例を探せば、
1616年に亡くなった家康。
「徳川家康没後400年記念 大関ヶ原展」は2015年に行われました。

1615年に亡くなった古田織部。
「没後400年 古田織部展」も2015年に行われました。

うーむ。


※推論も多い記事ですので間違いがあればぜひご指摘ください。

マガモとアヒル


(撮影 2015年2月)
カモといえばこのマガモ
冬鳥であり、玉川上水でも12月〜3月頃までカルガモに混ざってその姿を見られます。


(撮影 2015年1月)
右がオス。左がメス。
メスの方が地味な色をしています。



(撮影 2015年1月)
右がマガモ。左はカルガモ
カルガモは遠目にはマガモのメスに少し似ています。

  
(撮影 2015年1月)
ごそごそと玉川上水の斜面を歩き回っています。
この大きさで枯葉の上を歩き回るので、ガサガサガサ。
カルガモと同様に雑食。お目当ては植物か虫か、何でしょうね。


さて、誰でも知っているアヒルは、マガモを家畜化した鳥であり、基本的には同じ生き物です。
アヒルというと白い姿が思い浮かびますが、マガモにそっくりな柄のアヒルもいて、識別が難しい場合もあります。
ただ、アヒルと違って純マガモは冬に渡りをする冬鳥です。
夏にマガモ柄のカモを見かけた場合、そのほとんどはアヒルだと思われます。
また、家禽として品種改良されているアヒルは、マガモよりもひとまわり程度大きくなっています。


(撮影 2012年9月)
清流復活口付近。これはどうみてもアヒル。
この時以来ここでは遭遇していないのですが、どこかで飼育されていたアヒルなのか、住み着いていたのか。


(撮影 2013年11月)
小平市内の玉川上水。
まだ11月であること、明らかにアヒル(上)と一緒にいたこと、白アヒルと大きさがほとんど変わらないことから、下もアヒルと思われます。
アオクビアヒル。



(撮影 2015年2月)
雪の日のマガモ。寒い!

玉川上水にカルガモは何羽生息しているのか

「カモ」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「マガモ」なのかもしれませんが、生活の中で遭遇する機会が多いのは、「カルガモ」の方ではないかと思います。


(撮影 2015年1月)
左がカルガモ。右がマガモ

玉川上水ではカルガモが一年中見られ、冬から春にかけてのみ南下してきたマガモが見られます。
今年もそろそろマガモが飛来しているんではないかと思うのですが...


さて、このカルガモ、玉川上水には何羽程度生息しているのでしょうか?
水路を東西に行き来し、飛んでいく事もある彼らの正確な個体数を把握することはとても難しいのですが、先日(12月20日)、同時に45羽を発見
玉川上水駅の西側に12羽、東側に33羽のカルガモがいました。
少なくともこの付近だけで45羽はいることになります。

(撮影 2015年12月)

ただ、冬以外では、同時に最大二十数羽程度しか見たことがありません。
もしかすると一定数はどこからか南下した個体が混ざっていて、冬だけこの数になっているのかも。


このカルガモたち、普段は水路の中にいますが、出てくることもあります。
エサを求めて安全柵内の土手をゴソゴソと歩いたり、時には柵の外に飛び出すことも

 (撮影 2013年5月)

雑食であること、植物の実や海草類を食べるということを知識としては知っているものの、なかなか食べる瞬間を観察できていません。
昨年の冬にはマガモと共に水路斜面で何か探している様子がよく見られました。
具体的には何を食べていたんでしょうか...?

じっくり観察を続けます。


 (撮影 2014年3月)