2015年の東照宮巡り

今年は家康公四百年祭でした。(正式名称:徳川家康公顕彰四百年記念事業)


日光の東照宮でも400年式年大祭が行われた2015年。

せっかくなのでなるべく多くの東照宮を参拝しようと、一年かけて各地を巡ってきました。


おなじみ日光東照宮(平成の大修理中)。



久能山東照宮。静岡。
最初に家康公が埋葬された場所。


仙波東照宮。川越に。
久能山から日光へ移葬される際、日光街道を通ったものと勝手に思い込んでいたのですが、実際はもっと西の経路から北上していたんですね。
途中、喜多院で法要が行われ、ここに東照宮も建てられました。


滝山東照宮。愛知県岡崎市。
岡崎は家康公の出身地でもあります。


上野東照宮。上野周辺に外国人観光客が増えたため、こちらにも殺到しています。


(撮影 2007年1月)
実は、修復前の上野東照宮へも一度だけ行ったことがあります。全く別物ですね。


その他、金沢東照宮、浜松東照宮など多くの東照宮に参拝しました。
しかし、日光東照宮で入手した書籍によると、なんと全国の東照宮の数は五百社にも及ぶとのこと。
東京にも五十一社あるということなので驚き!


日光東照宮と久能山東照宮、それに仙波東照宮と滝山東照宮のどちらかを合わせて「三大東照宮」と呼ばれることが多いようです。
日本に数多く存在する三大○○ですが、「2つのすごいものがあり、うちのこれも同じくらいすごいものだよ!」とアピールするために三大○○と呼び始めたケースが多い模様
そのため、2つは文句無しに決定だが3つ目は諸説あり、というパターンが非常に多くなっています


さて、家康公が亡くなったのは1616年。今年2015年に400年式年大祭。
あれっ?と思われた方も納得した方もいるのではないでしょうか。
ここにとてもややこしい問題があります。

納得された方は、年忌は普通数え年(亡くなった年を1年目と考える)でカウントするということで納得したのでは。
しかし、東照宮は神仏分離後、神社になっています。
東照宮ではお寺のように四百回忌という言い方はしません。
そして、式年祭は基本的に数えではないはずなのです。四百年祭ならば2016年に行うはず。

これについて、念のため日光東照宮にも問い合わせたのですが、即答できない程度にはややこしいようです。
結局のところ、江戸時代、神仏習合の頃には数えでカウントしていたことが大きいようでした。
神社になり神式になったからといって再計算せず、江戸時代に行われていた法要から数えて◯年後というタイミングで行うため、自然に数えの計算になっているようです。
そもそも、明治以降の神社行事も、ほとんどが数え年による計算。
そして、輪王寺では2015年を四百回御遠忌としています。
お寺ですから当然です。これと東照宮の式年祭が1年ずれるのもおかしいでしょう。


では、家康公の没後400年とは何年なのでしょうか?
これも、「没後◯年」の使い方がかなり曖昧で定まっていないようです

例えば1950年に亡くなった人物の五十回忌は1999年になります。
その人物が著名人だったとして、その五十回忌、1999年のタイミングで「今年は没後五十年であり…」と話題になることはあります。
と同時に、2000年に没後五十年イベントが行われることもあります。

家康公も同様。
今年(2015年)に没後400年イベントがたくさん行われ、来年(2016年)にも没後400年イベントがたくさん行われるようです
なんということでしょう!
どちらかといえば、個人的には前者のタイミングでは「没後◯◯年」という表現は使わず、「◯◯回忌」とだけ言う方がすっきりする気がしますが....


ポイントは、年忌法要が盛大に行われるかどうかということなのだと思います。
そちらが一般人にもニュースとして耳に届くほど話題になる場合、そのタイミングに合わせてイベントが行われ、没後◯◯年という表記をすることもある。
その場合、単純な足し算による没後◯◯年とはずれることがある、ということでしょう。


実際の例を探せば、
1616年に亡くなった家康。
「徳川家康没後400年記念 大関ヶ原展」は2015年に行われました。

1615年に亡くなった古田織部。
「没後400年 古田織部展」も2015年に行われました。

うーむ。


※推論も多い記事ですので間違いがあればぜひご指摘ください。