清流復活時、川底の野草は移植された

玉川上水緑道、土手ではたくさんの山野草を見ることができます。


(撮影 2015年4月 ホウチャクソウ)


(撮影 2015年4月 キンラン)


(撮影 2015年5月 ニリンソウ)


現在では、玉川上水近隣のボランティア団体、NPO等が手入れ・移植していることもありますが、古くから多くの山野草が見られたそうです。
特に、落葉広葉樹の多いエリアの林床では豊富な野の花が見られたのではないかと思います。

さて、1971年から1986年までの間、小平監視所より下流の水路には水が流れていませんでした
玉川上水 空堀に関するメモ

水が枯れ、放置された水路の底には、しばらくするといろいろな植物が生えてきます。
これは、現在水が枯れている水路ではよく見られる光景です。

玉川上水でもそうだったらしいのです。
落葉樹の落ち葉が腐葉土となり、野草にとっても良い環境になっていたのかもしれません。

水を再び流し始めたら、それらの野草はすべてだめになってしまいます。
そのため清流復活が決まった時、「多摩の野草」という玉川上水の野草を記録・観察していたグループが1986年3月から6月にかけ、川底の野草を移植したということです。
この移植活動がどこまで上手くいったのかは分かりませんが、この「多摩の野草」の活動は今まで聞いたことのない話だったので、ここに記録しておきます。


(撮影 2015年3月 ヒトリシズカ)

現在、水量が少なくなってしまった玉川上水をなんとか元に戻したい!という声はあちこちから聞こえます。
様々な手段により検討されているようですが、実際にそれが実現できた時、川底近くに根を張ってしまった樹木、川底近くに根が露出してしまった樹木をどうするのか、たくさんの問題もあるのでしょうね。

善意に思える活動も、様々な視点で考えられるように、よく勉強していきたいと思います。


参考文献
アサヒタウンズ編(1991)『玉川上水―水と緑と人間の賛歌』けやき出版.

小平監視所と清流復活

玉川上水駅から東へ少し歩いたところに小平監視所があります。
現在、玉川上水に多摩川の水が実際に流れているのはここまで
ここまでの水は東村山浄水場へ送られ、水道水になります。
ちなみに、東村山浄水場へは、3つのラインで水が送られています。
・小作取水堰(羽村よりも上流)→山口貯水池(狭山湖)→東村山浄水場
・羽村取水堰→村山貯水池(多摩湖)→東村山浄水場
・羽村取水堰→玉川上水→東村山浄水場

※現在の東京の水源の大部分は多摩川水系ではなく利根川・荒川水系となっている。


さて、小平監視所から下流には再生水(下水の処理水)が流れています。

(撮影 2013年11月)
こちらは多摩川上流水再生センターで処理された水。
昭島市にその施設はあり、青梅市・昭島市・福生市・羽村市・瑞穂町の大部分と立川市・武蔵村山市・奥多摩町の一部(東京都下水道局のwebサイトで確認できる)の下水を処理しています。
玉川上水以外にも、野火止用水、千川上水にもこの処理水が送水されている他、多摩川にも放流されています

80年代より、いくつかの水路で清流復活事業が行われました。

時代の変化に伴い役割を失った水路に、再び水流を復活させようとした事業です。

清流復活事業年表
1984年(昭和59年) 野火止用水
1986年(昭和61年) 玉川上水
1989年(平成元年) 千川上水
1995年(平成7年) 渋谷川、目黒川、呑川

たしかに水流は復活したものの、その水は下水の処理水。
特に復活してしばらくの間はネガティブな反応もなくはなかったようです。



(撮影 2015年9月)
玉川上水 清流復活口付近では、流れる水のすぐ側まで下りられるようになっています。
このくらいの視点で水路を見られる貴重な場所です。


(撮影 2015年11月)
こんな視点で撮影することも可能です!

小平監視所年表
1963年(昭和38年) 小平水衛所ができる。
1965年(昭和40年) 淀橋浄水場が廃止、その機能は東村山浄水場へ移転。
1980年(昭和55年) 玉川上水のいくつかの水衛所が廃止・統合。
小平のものも小平監視所に改められる。
1986年(昭和61年) 清流復活事業の実施。
小平監視所より下流に再生水(下水の処理水)を流しはじめる。

行ってきました上水記展

御茶ノ水駅から徒歩5分ほど。
東京都水道歴史館です。



玉川上水も当然、「水道」に分類されます。
というわけで、この水道歴史館でも玉川上水のことが大きく扱われています。
2Fはまるごと「江戸上水」の展示になっていて、江戸長屋の再現コーナーまであります。
水に興味のある方だけではなく、江戸時代好きにもおすすめできる、隠れた江戸スポットです。

今回のお目当ては、秋の特別企画展『上水記展 ~江戸の面影を求めて 神田上水をたどる~』です。(会期 2015年10月31日(土)~11月8日(日))
一年に一度の上水記の展示!
東京都文化財ウィークの期間中に、毎年上水記に関連する展示を行っています。

上水記は、玉川上水について詳しくするための資料としては貴重なものですが、完成したのは1791年(寛政3年)。
当時、幕府普請奉行上水方だった石野遠江守が、残存していた玉川上水に関する資料を編纂したものとのことですが、玉川上水開削から100年以上も経過してしまっています。
どこまで正確なものなのか、判断できない部分もあります。


さて、今回は、訪れた時間がちょうど学芸員解説を行っているタイミングでした。
今回の展示テーマである、神田上水に関する興味深いお話をたくさん伺うことができました。
神田上水に関してはまだまだ研究不足なのですが、今回の展示をみて興味がわきました。

水道歴史館の屋外、本郷給水所公苑には、発掘された神田上水遺跡の一部が移築・復原されています。
神田上水の石樋


実はちょうど2年前にも、平成25年度 秋の特別企画展『上水記展~玉川上水 江戸市中の上水網~』に行っていました。
この時はばっちり玉川上水がメインテーマ。
しかし、2年前の私は玉川上水に関する知識も、江戸文化・歴史に関する知識もまだまださっぱりで、情報を読み取りきれない部分も多かったのです。
2年ぶりに訪れてみると、理解できることがかなり増えている!勉強した成果を実感することができました。


展示内の個人的なイチオシは、玉川兄弟のアニメーションです。
1Fの情報コーナーで視聴することができます。(19分)
杉本苑子さんの小説『玉川兄弟』が原作と、テロップ表示がありました。

若干、時代考証的にあやしい部分もあった気がしますが、子供が玉川兄弟の概要を学ぶにはぴったりな教材だと思います。(もちろん大人も楽しめます。)
学校教育用に、ビデオ・DVDの無料貸出しも行っているとのこと。

こちらのページ(東京都水道局)で視聴することもできます。(wmvファイル)

いつか、もう一度玉川兄弟についての資料をしっかり調べなおした上で、玉川兄弟のスペシャルドラマを放送、なんていうことがあったらいいな!と思います。

水道歴史館では、来館者に「東京水」のペットボトルのプレゼントを行っています。
今回は、館内アンケートに答えて、ウェットティッシュ、水滴くんのピンバッチもいただきました。




さてみなさんは、「水道から流れてくる水はいったいどこから来ているのか」と子供にたずねられたら、答えられますか?