玉川上水の工事期間は4月4日から11月15日の約8ヶ月間!あれ、計算が合わない?
(撮影 2015年5月)
四谷大木戸までの開削工事に関する話。
玉川上水の開削工事が始められたのは1653年(承応2年)4月4日。
四谷大木戸までの堀が完成したのは同年11月15日。
この記録が絶対に正しいものなのかは不明ですが、少なくともこの記録による工事期間は約7ヶ月ではないのです!
この時代の暦は旧暦。渋川春海が貞享暦を作る前なので、宣明暦。
ともかく調べてみると、この工事期間内に閏月(うるうづき)*1があることが分かります。
この年の4月から11月まではこんな風に進んでいきます。
4月→5月→6月→閏6月→7月→8月→9月→10月→11月
6月が2回あるため、4月4日から11月15日の間は8ヶ月とちょっと。
また、新暦、つまり今の暦に変換しても、
1653年4月4日→1653年5月1日
1653年11月15日→1654年1月3日
となり、ほぼぴったり8ヶ月間となります。
*1 現在の「うるう年」とは全く別のもの。当時の暦では、一定の法則で閏月を加えることで1年を13ヶ月にし、ズレを調整した。
(撮影 2015年5月 玉川上水のホタルブクロ)
『玉川上水 武蔵野 ふしぎ散歩』
堀の長さは約43km。これを当時の道具・技術により8ヶ月で完成させたのだから、大変な早さ。
この早さで完成させるために、羽村から四ツ谷へ向けて順番に掘っていくのではなく、区間ごとに分けて同時に掘り進めた可能性が高いと言われています。
当然、極めて精度の高い測量と、同時に多人数に正確な指示を出すリーダーシップが必要になってきます。
さてさて、庄右衛門・清右衛門兄弟はどんな人物だったのでしょうか。
参考文献
肥留間博 (1991)『玉川上水―親と子の歴史散歩』たましん地域文化財団.