玉川兄弟銅像の話


(撮影 2015年4月)


羽村駅から徒歩15分ほど。
玉川上水の取水口である羽村堰付近にこの銅像はあります。

銅像に関する情報
・制作は1958年(昭和33年)9月 松野伍秀(まつのごしゅう) 氏*1によるもの。
・制作費は300万円。当時の町長*2である井上孝平氏が主唱、羽村水源愛護会、玉川兄弟銅像建設委員会の協力により作られた。
・正面から見て、右側に立っているのが兄の庄右衛門。左側が弟の清右衛門とのこと。
・庄右衛門が持っている縄のようなものは「間縄(けんなわ)」、清右衛門が持っている棒状のものは「間竿(けんざお)」。どちらも当時の測量道具。
・玉川兄弟が活躍したのは江戸初期。当然ながら、写真のようなものは残っていない。それどころか、当時の情報がほとんど残っていない*3二人をどうやって造形したのか。
→調べてみると、「歌舞伎役者をモデルにしたといわれています」とのこと。


*1 青梅市 釜の淵公園内にある板垣退助像も、この松野伍秀氏によるもの。
*2 昭和31年10月に町制施行、「西多摩村」→「羽村町」となった。つまり羽村町長。
*3 不明点の多い兄弟。羽村生まれとも多摩川ほとりの農民の出とも言われているが、正しいことは分からない。玉川上水完成から100年以上経過した1791年(寛政3年)に、幕府の普請方である石野広道によって書かれた『上水記』が主な記録。


インパクトの強い兄弟像。羽村堰を見にきた観光客の多くが、とりあえずこの像を写真に収めていきます。
ちなみに、玉川兄弟の墓は聖徳院(台東区)にあります。

この銅像の果たした役割のひとつに、「玉川兄弟グッズ」を作りやすくなったということがあるのではないかと思っています。
例えば羽村市郷土博物館で玉川兄弟の缶バッジが販売されていますが、かなりデフォルメされたシンプルなイラストで玉川兄弟が描かれています。
しかし、片方の男は立って遠方を指差し、もう一方の男は膝をつき竿を持っていることで「玉川兄弟だ!」と多くの人が認識できます
これはこの銅像あってのことですね。


参考文献
羽村市郷土資料館編 (1995)『玉川上水散策』 羽村市教育委員会.
福田恵一,飯島満 (2011)『玉川上水 武蔵野 ふしぎ散歩』農文協.