2月の花だより

玉川上水で見られる野草、山野草、雑草、樹木、花をご紹介!


早咲きの桜はすでにここまで開花!
毎日、メジロやヒヨドリがやってきます。
もしかしたら今年もワカケホンセイインコがやってくることがあるかも。



ヤマコウバシ(山香ばし)の葉。
この時期にもほとんど葉が落ちずに残っているため目立ちます。
かろうじて残っているという感じではなく、葉の付け根はしっかりと枝に付いています。
色だけ見ると、今にも落ちそうな枯れ葉という感じなのに、不思議な感じがします。


葉が残ったまま冬芽も成長していきます。
手元の図鑑では、「落葉樹と常緑樹の中間の木と考えてもよさそうです。」という表現。
ヤマコウバシ以外では、ブナ科のブナ、クヌギ、カシワが葉の残りやすい樹木ですね。


マテバシイ(全手葉椎 )の...

冬芽。球形なんですね。これは特徴的。
「常緑樹」といっても、常に同じ葉が付き続けているわけではなく、新しい葉が生えては古い葉が落ち、入れ替わっていきます。

 
発芽するどんぐり。


最近覚えたカクレミノ(隠蓑)
常緑小高木で。海に近く湿度の高い場所に生えるとのことですが、玉川上水内でもよく見かけます。

葉にはバリエーションがあり...

こちらの深裂する葉の方がカクレミノらしい葉と言えるのかも。
深裂するのは若木の葉とのこと。


勉強用に枝の写真を。

玉川上水の地下を歩く

西武拝島線と多摩都市モノレール「玉川上水駅」から少し南へ。




地下へ潜る、自転車と歩行者用の通路があります。

「自転車はおりて通りましょう。」とありますが、慣れた現地住民は乗りながら通行することもあるようです。あまりよろしくない。

もともと(モノレールが完成する前、西武線のみが東西に通っていた頃)はこの写真の左奥くらいに踏切があり、通行者と車が南北に行き来できるようになっていました。

渋滞解消目的などの理由で、踏切は廃止に。
車道も含め、地下を通り南北を通行する形になりました。

玉川上水は、羽村から新宿までを水路で横切っているわけです。
そのため、車で南北に移動したい需要があったときにはどうしても邪魔な存在になってしまいます

立川を南北に移動する芋窪街道も重要な道。
ちょうどここに駅があったために、地下を通るという選択になりましたが、ここも車がびゅんびゅん行き来する通りになっていた可能性もあったのでしょうね。


地下を進むとこんな雰囲気。
昼間でも少し薄暗くなっています。


おそらくこのあたりの上が玉川上水のはず...!!

印などは特に何もありません。

おすすめ本|今森 光彦『ときめくチョウ図鑑』

ときめくチョウ図鑑 (Book for Discovery)
今森 光彦『ときめくチョウ図鑑』

多くの大人がそうであるように、私も歳をとるにつれて虫が苦手になってしまいました。

ホタルたちの「光」、秋の虫の「音」に限れば以前から楽しんでいたものの、触るのも触られるのも苦手で、どうしても距離をおいてしまっていました。
しかし、生態系の中で虫もまた野鳥と同様にかなり重要な役割を持っているはずです。

勉強しなくては…と思いつつ、重い腰が上がらず。
きっかけとして読んでみたのがこの『ときめくチョウ図鑑』です。

学術的なテイストの本ではなく、スタイリッシュでカジュアル。
読みやすい図鑑に仕上がっています。

図鑑としては情報量が控えめかもしれませんが、身近なチョウを識別するくらいなら困らなさそうという印象。
種類ごとの解説だけでなく、チョウの基本についての情報のほか、標本作り、撮影法など、初心者向けの記事が盛りだくさん。

まずはこの本を手がかりに勉強していこうと思います。冬の間に。
虫を学ぶ入り口として、まずはチョウから。

玉川上水にも、実は40種類以上のチョウがいるらしい...!!


(撮影 2015年5月) 玉川上水にて
サトキマダラヒカゲ

小金井村→小金井市。羽村→羽村市。何かおかしくないだろうか

多摩の多くの「市」は、江戸時代に成立した村がやがて町となり、その町がいくつか統合してできたものです。

立川市の例では
柴崎村→立川村→立川町→→→立川市
砂川村→→→→→砂川町→↑統合
こんな順序になっています。

基本的に、◯◯村→◯◯町→◯◯市と変化していくわけですが、そのルールから逸脱している市があります。
そう、玉川上水取水口のある羽村市です。

羽村市はもともと、羽村、五ノ神村、川崎村の3つの村だったものが統合し、西多摩村に。
その西多摩村が羽村町となり、やがて羽村市になりました。
問題は、西多摩村になった部分ではなく、羽村町の部分。

本来ならば羽町になり、その後羽市になるはず。なぜこうなってしまったのか。

羽村市の羽村は「はむら」と読みます。
しかし、村としての羽村は「はねむら」と読んでいたようです。
現在でも、羽村市内に「羽」一文字で「はね」と読む地名がいくつも残っています。

いつのまにか訛って「はねむら」を「はむら」と呼ぶようになり、町へ移行する際に羽町(はまち)ではあまりにも語感が良くないため、羽村町(はむらまち)としたのではないかと推測しています。



特に玉川上水と隣接していた村を中心に、村→町→市の変遷は一度きちんとリストにまとめたいと思っています。



そういえば、羽村取水堰が土木学会選奨土木遺産に認定されていたらしく、プレートが設置されていました。
調べてみると、平成26年度に認定されたとのこと。そして平成27年(2015年)11月、つまり去年の11月にプレートを設置したということですね。

まだ設置されたばかり。以前にはなかったものなので、見つけた時には少し驚きました!