柴崎分水を歩く(後半部分)
かなり時間は経ちましたが、今回はその続きです。
4月10日。
昭和記念公園あたりから南へ進むと、いきなりどこが水路なのか分かりにくい。
が、明らかに水路があったような跡があります。
これを目印に進んでいく。
住宅と道路の間に、明らかにそのどちらでもない一定の幅のスペースがあります。
この下が水路のはず...!!
しばらく進むと、蓋はしてあるものの、ハッキリと水路だと分かるようになりました。
わずかな隙間から覗くと、結構な勢いで水が流れていました。
開渠になるのは奥多摩街道にさしかかる辺りから。
間違っていなかった!ちゃんと水が流れています。
玉川上水の水。つまり多摩川の水がここまで届いています。
面白いのはたくさんの花びらが時々流れてくること。そのほとんどが昭和記念公園から流れてきたものでしょう。
水路のほとんどは石積み(だったものを固めてある状態)なので、生き物の気配は少ないものの、多少は湿地として機能しています。セキショウの花が咲いていました。
とにかく面白いのはこれ!中央線の上を水路が通っています。空中水路。電車に乗って下を通過している時にはなかなか気づくことができないでしょう。
途中でいくつもの庚申塔や常夜灯などに出会いました。
江戸時代の町並みはすっかり消えていますが、こういったものから時代を感じとることができます。
ちゃんとあります。柴崎分水についての解説パネル。
立川市内北側、砂川村のあたりは玉川上水開削後に発展した新しい村ですが、南の柴崎周辺はかなり古い土地です。多摩川近くに崖があり、湧き水が利用できたからですね。
水があるのはハケ下。でも住みやすいのは崖の上。
崖の上でも水が利用できたらずいぶん便利になるはずなのですが、水は崖を登ることができません。かなり北にある玉川上水からわざわざ水をひっぱってくる必要があったわけです。
水路は道の南側、北側を何度も行き来します。
これは、水路を引いてから村ができたのではなく、村はすでにできており住居者の都合で水路の進み方を決めた証拠であると考えます。
そして、歩いていて疲れるほど、くねくねと水路は進みます。東西南北いったりきたり。
測量技術もかなり優れていたはず。基本的には南の多摩川に向かって標高は低くなっているはずなので、正しく測量できていないと水路を北に進めることは不可能だったはずです。水は高いところには進みません。微妙な高低差を利用しているものと思われます。
畑地に隣接する水路は、比較的昔の雰囲気が残っています。
そういう場所には大抵洗い場もあり。
多摩都市モノレール 柴崎体育館駅の下を通過していきます。
こんなところに玉川上水の水が流れているだなんて、気づいていない人も多いのかも。
最近工事が終わった立川公園内。
ここでも柴崎分水を利用しています。
柴崎体育館を回りこんで…
いよいよ根川に合流です。
この根川にはややこしい歴史があります。
→根川緑道散策
現在の根川緑道を流れる水は、下水の高度処理水を利用しているので、ここで多摩川の水と処理水がミックスされることになります。
このあたりはお花見スポットとして有名。
たくさんの方がソメイヨシノを楽しんでいました。
もう少し先へ進めばこの水が多摩川へ放流されます。
暗渠部分の多さは気になったものの、十分に生きた水路であることが実感できた水路でした。
「歴史の散歩道」のような感じで、水路を巡ることができるマップが手軽に入手できる機会があったらいいなと思います。自分で作るべきか。