森を学ぶ。木を学ぶ。ブナを学ぶ。
3代将軍徳川家光公の時代の建築物、そしてたくさんの樹木を見ることが目的でした。
(撮影 2015年10月 戦場ヶ原)
奥日光では見渡す限りのミズナラ、アカマツの林、林床にはササ。
圧倒的な日光の杉並木。
そして日光植物園にて落葉する前のブナやイヌブナを見ることができました。
とても勉強になった!
詳しくはまた別の記事にて。
さてさて、こちらの植物マップ。
展示されているものを先日見ることができました。
1987〜1988年にかけて「玉川上水の自然保護を考える会(の前身となる講座)」で作られたものとのことです。(掲載許可いただいてます。)
一部のエリアではありますが、地図上に玉川上水沿いの樹木がすべて詳細に記録されています。これはすごい!
ある程度分かっていたことではありますが、この図を見て、そしてお話も色々と聞いて、あらためて玉川上水の樹林について納得。
その多くは、植栽されたサクラと雑木林で構成されています。
植栽されたサクラは、よく見ると明らかに一定の間隔で植えられていて、人の手によるものであることが分かります。
雑木林の中身はコナラ、クヌギにエゴノキ、そしてシデ(イヌシデ、クマシデ)が中心。ケヤキ、エノキも一定数見られます。
ブナ科の中では基本的にはコナラが多数派。ですがクヌギの方が多いエリアも時々あります。少数ですがクリも。
(撮影 2015年11月)
「武蔵野の面影を残す」と言われることもある玉川上水。
ここで言われる「武蔵野の面影」とは、万葉の昔に語られたススキ野の平原のイメージではなく、江戸初期〜中期、玉川上水開削後に新田開発が進む中で必要になった落葉樹を中心とした雑木林のイメージでしょう。
国木田独歩が描写した武蔵野の世界。
完全な人工水路である玉川上水土手に雑木林が侵食し、近代に周囲の宅地化が急速に進んだことで、結果的に玉川上水に武蔵野の面影が残った。
一時期は大部分が空堀になってしまった玉川上水ですが、80年代に清流復活。
近いタイミングでたくさんの野鳥が都市部へ順応、放置され枯れ木も増えた玉川上水はキツツキたちにとっても住みやすい環境になった。
作られた当時は、未来に「玉川上水土手で野鳥観察や野草観察をする」なんてことが想定されていたとは思えません。
時代の流れの中で武蔵野の面影を背負うことになった、という考え方もできるかもしれません。
面白い現象です。
(撮影 2015年10月 シラカシの葉とどんぐり)
ほんの少しずつですが樹木の勉強が進み、樹木種判定能力が上がってきているのを実感します。
葉が全て落葉してしまう前に、2015年の玉川上水樹木調査、してみようかな!