小平ふるさと村で江戸時代の多摩にタイムトリップ!

行ってまいりました小平ふるさと村


小平駅から出発です。ここから徒歩20分とのこと。
ありがたいことにいいお天気です。



狭山・境緑道を歩いていきます。
多摩湖から境浄水場までの水道管上の緑道で、西武新宿線の線路とほぼ平行に進んでいきます。


道中ホトトギスが咲いていました。


途中には小平市立あじさい公園があり、ちょっと寄り道します。

見上げると皇帝ダリア。爽やかな秋の風景。
アジサイが中心ですが、他の花も植えられています。

こちらの公園の花は小平のボランティア団体によって手入れされているそうです。
気になったものの、残念ながら活動日が平日午前のため、参加は難しそうです。


こんな時期に咲くアジサイもあります。


緑道はとてものどかで良い雰囲気です。
老若男女問わず、地域の方々が利用している空気感がありました。
いわゆる雑木林の樹木よりも、もうちょっとバリエーション豊かな木が植えられているため、
散歩していて飽きません。
ここが生活圏の方々がちょっとうらやましい!

こちらはマテバシイ
ブナの仲間ですが、葉が落ちない常緑広葉樹。
マテバシイのどんぐりはアクが少ないので食べやすいと聞きます。
一度は食べてみたい!



緑道の途中で大沼田用水と交差します。
このあたりの水路は、もちろん玉川上水からの分水です。
いつか時間を作ってこちらの水路もじっくりと辿ってみたいですね。



さてさて、やってきました小平ふるさと村
人通りの多い緑道に面していてさらに入場も無料。
そういうわけなので、公園に入るような感覚で多くの人が気軽に入っていきます。

ここには、江戸時代から明治までの建築物が移築されて集まっています

今回の一番の目当てはこちらです。
これが、かつて武蔵野新田のあちこちで見られた水車の風景である!

人力による精米はなかなかの重労働。
(シーソーのような足踏み式の精米機を、深川江戸資料館で体験したことがあります。)
水流を動力に変換できる水車がどれだけ便利だったことでしょう。
もちろん、お米以外の穀類を精白したり、小麦を粉にするような作業もおまかせです。


完全に江戸時代の多摩へタイムトリップしたような風景です。
よく見ると奥に電線は見えているんですけどね。

江戸時代、と書いたものの、昭和初期まではこういった風景がまだ日本のあちこちで見られたのだと思います。



 
五穀。テストにでますよ!(?)

五穀の内容は、時代、地域によって様々ですが、ここでは「陸稲*1」なのがポイントでしょうね。
水の乏しい地域ですから田んぼが少なく、水稲ではなく陸稲が中心だったと。


おみやげにコゲラサブレーを買って帰りました!
コゲラは小平市の「市の鳥」です。



売店にて、小平市史概要版「小平の歴史」を購入することができました。
2015年に発行されたばかりのものです。
 小平市史概要版「小平の歴史」は、平成24年度に刊行いたしました小平市史「近世編」「近現代編」「地理・考古・民俗編」の3編に記載されている主要なテーマを概ね集録し、わかりやすく一冊にまとめた入門書です。
東京都小平市公式ホームページより。

なんと400ページ以上のだっぷりボリュームで600円。これは親切価格。
玉川上水についての記述もあり。
各市の市史を購入することも、読み切ることもなかなか大変なので、とてもありがたいです。


*1 普通は「おかぼ」と読む。水稲と並べた場合には「りくとう」と読むこともあるかもしれない。田んぼではなく畑で育てる稲のこと。

東村山 千体地蔵を見にいってまいりました

こちらは都内唯一の国宝建築!…だった*1正福寺地蔵堂です。


(撮影 2015年6月)
国宝建築でありながら、普段はほとんど人の気配がありません
のんびり気軽に足を運んで楽しめる国宝です。


国宝指定されているのは、正福寺内の地蔵堂の部分。
本堂は別にあります。

多くの小地蔵が奉納されている地蔵堂内。
中を見学できるのは、一年のうち3日間だけ。
さらに、写真撮影可能なのは公開中の一時間程度だけなのです。


(撮影 2015年11月)

正確な年代は分からないものの、この禅宗様の建物はかなり古い時代の建立。
それゆえの国宝指定ですが、地蔵の奉納が盛んになるのは江戸中期以降
つまり、玉川上水開削後、多摩の新田開発が進み、賑わってきた頃です。

その奉納者は、国分寺、小金井にまで及んでいたとのこと。
多摩の人々の暮らしが少し伝わってきたような気もします。



*1 2009年に迎賓館赤坂離宮が国宝に指定された。正福寺内には、まだ「都内唯一の国宝建築」のような表記があちこちに残っている。

残念ながら自殺の名所だった玉川上水


1948年(昭和23年)。
太宰治山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺をしました。


さて、太宰ファンだけれど玉川上水のことはよく知らないという方が、実際に今のお堀を見て必ず抱く疑問が「この流れでどうやって入水自殺したのか?」というものです。

答えは単純、現在よりも水量は多かったからですね。
さらに今のような柵もなかったため、昔は水路に落下する事故も多かったようです。

浮いて流れてくると、急いで連絡して水を二日くらい止めるんだよ、羽村の方でね。そうすると水が減っちゃうんだよ。そうすんと、つっかえてんの、自殺した女の人がさ、それを揚げるんだ。つっかえる所はいつも決まってるんだ。こう、えぐれてるところで、とぐろまくとかいうことだよ。
『小平ちょっと昔』より


 
(撮影 2015年10月 三鷹市)

その危険さから人喰い川とも呼ばれていた玉川上水。
関わり合いになるのが面倒だと、行き倒れ人を上水に投げ込み、下へ下へと押し流したこともあるらしいです。

比較的新しい記録では、1967年(昭和42年)に若い女性が生まれたばかりの赤ん坊を抱いて身投げしたそうです。
この時には、小平監視所(当時は水衛所)の職員がすぐに見つけ、女性は命を取りとめたとのこと。


しかし、飲み水としても使われていた玉川上水上流で、こんなことが起きていたと考えると衛生面がおそろしい…


参考文献
小平民話の会編(1988)『小平ちょっと昔』小平郷土研究会.
アサヒタウンズ編(1991)『増補 玉川上水―水と緑と人間の賛歌』けやき出版.

キツネとムジナにやたらと化かされた多摩の農民

玉川上水周辺の村に伝わる昔話を調べていると、とにかくやたらとキツネタヌキムジナに化かされた話が出てきます。


(撮影 2014年8月 キツネノカミソリ)

その理由、そしてそこから読み取れることがいくつかあります。

・昔の多摩にとって、キツネ、タヌキ、ムジナは身近な動物だった。(多く生息していた)
・方角が分からなくなるほど迷いやすい(化かされたと感じるほど)ような道や林がたくさんあった。

何にしても、これらの動物がとても身近な存在だったようです。

ところで「ムジナ」ってどんな生き物でしょう。
ムジナが何を指すのかは、様々な解釈があったようです。
同じ地区で民話を採集しても、その定義がバラバラ。

・ムジナ=アナグマと考えているパターン
・アナグマとタヌキの区別がついていなくて、両方をムジナと呼んでいるパターン
・アナグマとタヌキの区別はついているが、総称として両方をムジナと呼んでいるパターン

※いつ頃から日本にいたのかよく分からないハクビシンがこの時代にもいたとすると、ハクビシンもムジナに含まれる可能性がある

ある地区・地方ではどれかのパターンに必ず当てはまる、というわけでもないので、昔話に登場する「ムジナ」が何であるかを特定することは難しいようです。


さて、玉川上水 金比羅橋付近のこんぴら橋会館2Fに、とても状態のいいタヌキのはく製があります。
1996年(平成8年)に玉川上水付近で、不慮の事故により命を落としたタヌキをはく製にしたものなんだそうです。

 
いい表情。メスだそうです。


現在でも玉川上水周辺にはタヌキの他に、キツネやテンが生息している可能性があるそうです。
ハクビシンはよく見かけます。

ちなみに、タヌキのイラストはしっぽが縞模様になっていることが多いのでよく誤解されているのですが、しっぽが縞模様なのはアライグマです